私には同じ月生まれの、9歳年下の妹が1人いる。
9歳(9学年)差とは、
小3で妹が誕生し
小学校生活最後の一年の時に、妹は3歳
中学校入学と同時に、妹は幼稚園に入園
高校入学と同時に、妹は小学校に入学
という、親にとっても、
それぞれの子が大事な時を迎えるタイミングが交錯する、難易度の高い育児
になっていると思う。
その上で姉の私が、一番母親に対して不満を抱いていたのは、自己の「思春期」である。
海外映画なんかではよく「ティーンエージャー」は厄介者扱いされている描写がみられるが、
厄介者であると同時に、大変慎重に扱うべき存在だったのではないかと思う。
私が12歳の頃、妹は3歳で、その頃感じていた憂鬱は3つある。
ひとつは、妹が歩けるようになって、家族のおでかけの範囲が広がっていった時期。
その頃のお出かけ先はもっぱらこうだ。
公園、動物園、水族館、教育テレビのキャラクターに会えるイベントや、プリキュアのイベント…
これ、精神年齢が普通だった私にとってはかなり苦痛で、周りを見ても同年代の子はいないし、
「大好きな妹が喜んでいる姿を見るのが幸せ」
なんて思えるほどの器も、まだ持ち合わせてはいなかった。
この頃の写真を見ると、私はいつも仏頂面だった。
同級生の土日におでかけした内容を聞けば、
巨大なウォータースライダーのあるプールだとか、
遊園地で絶叫系に初挑戦してハマった!だとか、ゴーカートで弟とバンバンやり合っただとか、
巨大アスレチックに挑戦したとか…
とにかく友人たちが羨ましくて仕方がなかったが、
その代わりに、私には
かわいい小さな妹がくれる無償の愛を感じることができるのだと、
しきりに自分に言い聞かせてきた。
2つ目は、ホームビデオ。
妹の誕生と同時に購入したビデオカメラであったが、妹を映している最中に私が映り込むと、
母にかなりの高確率で怒られていた。
これは当時かなり理不尽だと思っていたし、
母親にとって二人が微笑ましく、仲良くしている姿は是非ぜひカメラに収めたいけれども、
かわいいまんまるな妹を撮っている横で、骨筋張った小学生の私が登場して、
かわいい妹の動きを止めたり、かわいい妹の声がかき消される事が母は嫌だったのだと思う。
3つ目。おそろいの服
これは、当時母が9歳差の私たちにおそろいの服を着せることにハマっていて、
私が本当に着たい服を着させてもらえなかったこと。
私は年齢の割に小柄でやせていたので、キッズ服でも入ってしまうような体形だったことが災いしてか、
130センチと、90センチというようなおそろいが実現可能であった。
小学校高学年で妹とおそろいのくまちゃんの洋服(某有名ベビーブランド)を着させられていた時は、
同級生にバッタリ会わない事を、ただただ祈るばかりであった。
何度か着るのが嫌だと主張したこともあったけれど、
「やっとみつけたおそろいなのに!」とか「かわいいよ!」と押し付けられ、
しまいにはなぜ着ないのかと責められるので、
私は母に従うしかなかった。
こんな思いを抱えながらも、私は成長していき、高校生になった頃には、ほとんど家族と過ごすこともなくなった。
自分が行きたい場所に行けて、
友人とのプリクラや写真に堂々と映ることができて、
バイト代で買った好きな洋服を着ることができる
思春期の私ができなかった事を、自分で叶えてあげた瞬間だった。
やがて私も子どもを出産したが、あの時の母を許してあげられそうな根拠を見つけることができた。
それは「女性の愛情曲線」
子育て経験のある人ならば、目にする機会はよくあると思うが、
この図の「子どもへの愛情」の折れ線グラフを見ると、
女性は出産直後をピークに、どんどん子に対する愛情が下がっていき、
なんと子の中学校入学あたりでぺこんと線が落ち込んでいたのである。
これはまさに私がつらいと感じていたあの時期。
思春期の相乗効果もあって、苦しむことになったのだ。
さらには、赤ちゃんがなぜあんな容姿をしているのか。
赤ちゃんは自力で生きる力がまだ備わっていないので、
頭が大きく、四肢が短く、ふわふわでまんまるな姿をすることにより、
大人に可愛がってもらい、生き延びるためなのだという。
まんまるな妹の横で、当時の私はというと
成長曲線では余裕でやせグループに入るガリガリ。
これは人間の本能として仕方のない事。
母は本能にしたがった振舞いをしたのみ。
そう片づけることで、あの時の私の気持ちを、
今度は母になった今の私が抱きしめてあげるのだ。
* * * * * * * *
もしも、上の子可愛くない症候群で悩んでいる方がいたら、一言言わせてほしい!
それに気づいている時点で、あなたは毒親なんかじゃない。
あなたの中にある、その正直な気持ちは、しっかりと受け止めてあげてほしい。
少なくとも、私の母は当時それに気付いていなかったし、今も気付いていないし、今後気付いたとしても、見て見ぬふりをするであろうから。