25)の続き。
話は少し戻ります。
教室をしながら、自分の教えていることを活かして欲しいと思い続けながら日々が過ぎていた私が、日本語しかしゃべることができないのに、突然国際電話をかけ、知らない国にまで行ってしまえたのか?
知りたい人のために。
知りたくない人もぜひ(笑)
私は自分の時間軸で生き生きと活動したいと願う主婦の人たちがたくさんいることを知っています。
それは私がそうだったから。
そして、彼女たちは強く、優しく、たくましいことも。
講師業はそんな彼女たちにとって、ぴったりの職業でした。
自宅でできて、日時も自分の都合のよいときにできて、華やかで、人に喜んでもらえて、そして少しの自由になるお金も得ることができる。
だから、私の教室に来てくれる主婦の方々に、私が伝えたことを活かして講師というお仕事や、販売という方法で、楽しく活動してもらえたらと、考えていました。
でも、そんなに甘くなかった。
材料があっても、作る意味がなければ料理を楽しめないのと同じでした。
主婦の人にとって、その意味は「お金」だけではなかったのです。
仕事をする目的が「お金」の人はすぐに私の伝えたことで動き出せ、活かしてお仕事にされました。
私が本当にやりたかったことは、そうでなく、主婦の人たちも、自分の得意なことを活かして活動をしてもらいたかった。
だから、意味を明確にする必要がありました。
私は?私はどうだったのか?
そう考えたときに思ったのは、
○さん家のお嫁さんでも、○君の○ちゃんのママでも、○さんの奥さんでもなく、
自分自身が社会の中で誰かの役に立っていることを実感したいという、承認欲求でした。
私のすることで誰かを喜ばせている。
「ありがとう」と、言ってもらえることの嬉しさ。
必要とされているという実感。
もちろんお金が全く必要ないということではありませんが、本当に動き出すための意味はそこにありました。
そしてなにより、女性は誰かのためならばやる気も勇気も知恵も出てくる生き物でもありました。
私がそのよい例です。
「私もできた。講師という職業をたくさんの主婦の人にも体感してもらい、この楽しさを実感して欲しい」
その思いが私を突き動かしている。
行動力も決断力も実行力もだからこと身に付いた。
「新しいハンドワークで主婦が意味ある活動ができる仕組みを作る」
私の目標が定まりました。
だから、国際電話をかけていたのです(笑)
27)へ続きます。