9月になったばかりというのに、朝吐く息が白いってどんだけ寒いねん。。。
学校も始まりましたが、どんどん寒くなる朝を思うと憂鬱になるにあでございます。
学校も始まりましたが、どんどん寒くなる朝を思うと憂鬱になるにあでございます。
さて、8月の終わりに、ご主人様が遅い夏休みを取ったので、
我が家もぷちバカンスにお出かけ♪
寒いベルギーを脱出して、青い空、青い海、眩しい太陽を求めて
南イタリアに行ってきました
本当はギリシャの島に行きたかったんですけど、
経済状態の悪いギリシャはいつストするかわからないので、今回はあきらめ
実際出張中に”明日からストだから1日早く帰った方がいいよ。”と
切り上げて帰ってきたことがあるので、ご主人様の気持ちはわからなくはない。
んで、行ったことが無くて、行ってみたかったのはローマ
にあは遺跡が好きなので、ポンペイも行きたいし、ついでに海も♪
にあは遺跡が好きなので、ポンペイも行きたいし、ついでに海も♪
といことで南イタリアに
飛行機2時間弱のフライトでブリュッセルからローマにぶーん
そこからレンタカーで2時間ちょとのポンペイへGO
そう、ヴェスーヴィオ火山の大噴火により死の灰に埋もれてしまった古代都市。
ポンペイの中心広場のフォロ。

奥のジュピター神殿の後ろにそびえる山がヴェスーヴィオ火山です。
紀元前8世紀頃にイタリアの先住民が作った都市で、
その後ギリシャの植民地として栄え、ローマ帝国の支配下になった後は、
ローマの貴族の別荘地として繁栄したそうです。
ローマと同じくらい古くて、商売や公共の設備の整った豊かな街だったそう。
ローマと同じくらい古くて、商売や公共の設備の整った豊かな街だったそう。
西暦79年の夏のある日、ヴェスーヴィオ火山が大噴火。
1時間に15cm以上降り積る火山灰が3日3晩続き、
1時間に15cm以上降り積る火山灰が3日3晩続き、
数回もの火砕流に飲み込まれた街は7mの灰に覆われ、
18世紀に発掘されるまで忘れ去られることとなったのです。
フォロの周りには役所や会議場、市場に神殿と豪華な建物があり、
直行に交差する大通りがあって、かなり整備された町であることがわかります。
道には歩道があり、一段下に馬車が通る道。馬車のわだちも残っています。

歩道には大理石が貼ってあったようで、ところどころ保存されています。
水道設備も整っていて、あちこちに水飲み場がありました。
水道設備も整っていて、あちこちに水飲み場がありました。
こーんな円形闘技場や、

こーんな体育場もあり、劇場も完備。

こーんな豪華な浴場もいくつもありました。

商店もたくさんあり、パン屋の石臼、かまどやパン焼き窯、
居酒屋みたいな店のカウンターにワインの甕も当時のまま。
多くの豪邸があり、そこには色鮮やかな壁画やモザイクが施されています。


紀元前2世紀に建てられた大邸宅ファウノの家の床のモザイク。
”アレクサンドロス大王とダレイオス3世の戦い”

初め絵かと思ったんですけど、
ものすごい小さな石で出来たモザイクで350万枚の色つき石なんです(@_@)
残念ながら複製で、本物はナポリの考古学博物館だそうですが。。。
残念ながら複製で、本物はナポリの考古学博物館だそうですが。。。
こちらも大邸宅の一つ、ヴィーナスの家のフレスコ画。青が綺麗ですね。

こちらはポンペイ最大級の邸宅秘儀荘のフレスコ画。

ポンペイ・レッドと呼ばれる赤が印象的でした。
この赤はエジプトから取り寄せられた顔料だとか。。。
この赤はエジプトから取り寄せられた顔料だとか。。。
この他にも多くの壁画や床画、豪邸に公共の建物を見ることができますが、
どんだけ豊かで金持ちやったねん!と思います。
そして1900年以上たった今、街がこのような状態で残っていることに、
ただただ感動いたします
ただただ感動いたします
生活感たっぷりに残る住居、色褪せていない壁画、壁の落書きまで残っているのは
ヴェスーヴィオ火山の大噴火の火山灰に埋もれていたから、
ヴェスーヴィオ火山の大噴火の火山灰に埋もれていたから、
たまたまその火山灰に多くの乾燥材成分が含まれていたから。
「現代人のポンペイ遺跡を見る喜びは、古代の大災害に由来する」
とかの有名なゲーテが言ったそうな。
紀元1世紀の繁栄の極みが一瞬にして灰に閉じ込められるという悲劇があったから
私達が当時の生活そのままの遺跡を見れるということを忘れちゃいかんのね!
私達が当時の生活そのままの遺跡を見れるということを忘れちゃいかんのね!
と思う次第でございます。
18世紀にはじまった発掘・復元作業は現在も進行中だそうです。
19世紀に考えだされた灰の中に出来ていた空洞に石膏を流し込むという技法で
被災者の当日の姿が蘇ったことは有名ですが、
実際に目の当たりにするといろいろな感情が湧き上がってくるのでありました。


ところで、ポンペイ最後の日って日本で言うと弥生時代なのよね。
社会で習った「漢倭奴国王の金印」が西暦57年らしく、
中国との交流はあって、稲作もしている時代だが弥生式土器、竪穴式住居の時代。
えらく暮らしぶりが違うような気がしませんか?
世界は広く、こんなにも差があったか!ともびっくり(@_@)
豊かさ、個人の快楽に対する考え方の差がこの時代に出来上がったんかいなー
と思えてしまいますが、事実はしりましぇん(^^;
世界史、日本史を勉強していないのが残念だなー。
(今からでも遅くないぞー!と頭の隅でする声はこの際無視します^^;)
(今からでも遅くないぞー!と頭の隅でする声はこの際無視します^^;)
下調べもせず、地図を頼りにポンペイ遺跡を歩きまわること3時間以上。
帰って来てちょっと調べたら、かなり見どころを見逃したようだけど、
あれ以上歩くのはきつかったです
この後は、へろへろの状態で、更に南に向けて3時間弱の山道ドライブ
決して遠まわりを許さないカーナビ君が指示するのは細ーい山道カーブ連続!!
ご主人様が頑張りました♪
(次目的地が遠いのも、レンタカーをミッションでいいって言ったのもご主人様^m^)
続きは、やっぱり夏は海♪編でございます