誰にも見せないためのランジェリー。
誰かを誘惑するためでもない。
誰かから愛されるためでもない。
妻でもなく、母でもなく、恋人でもなく、
仕事上の肩書きでもなく、
自分が自分に戻るために着るもの。
考えてみれば、
服は社会に向かって着るものです。
今日どんな人間に見られたいか。
どんな場所へ行くのか。
誰に会うのか。
でもランジェリーは、そのもっと内側にある。
誰にも見えない。
だからこそ、
そこには誰にも説明しなくていい自分がいてもいい。
『Tシャツが乾くまで』は、
夫婦であっても相手のすべてを所有することはできない、
という物語だったのかもしれません。
だったらランジェリーも同じなのかもしれない。
夫婦だからといって、
妻のランジェリーが夫のためにある必要はない。
恋人がいるからといって、
恋人のために選ぶ必要もない。
誰にも見せない美しさを、
自分だけが知っている。
それは秘密というより、
自分だけの小さな領域。
Tシャツは乾けば、また誰かの目に触れる。
でも、そのTシャツの下に何を着ているのかは、
自分だけが知っていればいい。
ランジェリーとは、もしかすると、
「私は私」と確認するための、
いちばん内側の服なのかもしれません。
肌触りが良くて
サイズがぴったりで
自分の肌に馴染んで心地よい
内側の服
彼らは
どんなランジェリーを着てるんだろう
まるで
内側を覗くように
想像してみる
