英語教育の助けになるから、というのもあるが、実はそれは理由のほんの一部だ。本当の目的は人生観に関わるようなことである。そもそも、英語だけが目的なら英語圏の人に特定しなければならない。
ホストファミリーをしていると、何も考えないで日常のルーティンを無意識にこなしているときには感じないようなことを、多々感じる機会がある。一見問題に見えるようなことでも、本当はそれを問題だと思っている思い込みの方が問題なのでは?と気付くとか。
私が子供に持って欲しいと思っている(=自分が大事に思っている)のは、広い視野と自由でニュートラルな心。それと、人と違うことを恐れない、健全な自尊心。極力色眼鏡を持たない柔軟な頭。自分の文化を客観視できる視点。そして、アサーティブなコミュニケーションを取れること(全ての人が健全な自己主張をする権利を平等に持つということと、 常にニュートラルなコミュニケーションを取ることは可能だということ)。
それには、普段様々な人に接するのがいい。だから、祖父母が隣にいる今の環境はとても恵まれていると思う。そして、遠い世界から来た人と接するのもとても良いと思う。
留学することが評価されるようになったのは、異なる文化の中で暮らして異なる言語を使って勉強したという事実が評価される時代になったからだ。(ちょっと前までは、留学すると就職の時期が心配…とか日本の大学に戻るときが心配…とか、そもそも日本にずっといるのが王道だ、みたいな雰囲気があったみたいだけど、今はもっと柔軟になった、というより、逆転した。)
大人も新鮮な物事を見聞きして「へぇ~!!」と面白く感じることができるけど、心が柔らかい子供のときからそんな体験をなるべくたくさんさせてあげたい。
普段安心できる、なじんだ世界ももちろん必要だけど、家族と学校のクラスの友達だけが世界の全てになってしまうと行き詰まることがある。そういうときに助けになるのは、(読書から得るにしても人との出会いから得るにしてもどちらでもいいけど)教養と経験だ。
ある物事の評価も文化が違うと正反対だったりする。そして、行き詰まったときはその事実に救われた気分になったりする。それが視野を広げるということだ。
私はあまり何も考えずに、例えば親や漠然とした「世の中」の風潮のようなもの、自分でない何かに従うのは有益ではないと考えている。例えば自分の心に反して親に従ったとして、それは親のためにすらならない。「普通こうするから」といって何かをする/しないのは自分で感じたり考えたりすることを放棄していると思う。
何より、そのような頭でいると自分自身が行き詰まったときにウルトラC的な解決策を思い付けない。
ウルトラCな心と頭を養うためにも、遠くから来た人と接することで「何だろう?」と感じる機会が増える→自分はどう感じているのか?を自分の頭で考える機会も増えるため、とても有益だと思う。
これからの時代は、たぶん日本から出なかったとしても日本の外からの人がたくさん常にいる時代になっていくと思う。そういうときに、「普通」は通用しない。そもそもみんな「普通」が違うからだ。以心伝心などを期待してはいけない(と断言してしまうことにする)。アサーティブコミュニケーションはこれからの時代にますます必要になるし、本当は今までだって必要だったものでもあるのだ。そして、思いがけないことに適応し、楽しめる心の持ち主になれる。それを学ぶためにも、ホストファミリーをすることはとてもいい機会である(しかも家にいながらにして!)。というわけで、英語以前に人生に対する態度のようなものの話なのである。
