母に聞いた昔話つらつら。うちの母の故郷は台湾南部の美濃というところだ。
台湾には漢民族と原住民が住んでいるが、漢民族のなかでも第二次世界大戦前から住んでいるグループと、戦後移り住んできたグループがいる(といっても、もう70年も経つので若い人はあまり意識しないかもしれない)。
戦前から住んでいた漢民族は、河洛人(この人たちが話す方言は「閩南語」「台湾語」と言われることもあるが、台湾で話されている標準的な中国語、いわゆる北京語を指して台湾語ということもあり、二つは全く違うので注意)と客家人という主に二つのグループに分けられる。
私の母は南部の客家の町、美濃で生まれ育った。隣の県(ここにも比較的客家の人が多い)にある看護学校で学び看護師になった。この看護学校を作ったのは上海あたりから渡ってきた資産家だったそうだ。
看護学校創立者兼学長には妻がいたが、何かの事情で別れた。そして、彼は自分の看護学校の生徒に求婚したが、誇り高い客家人の彼女は断固として断った。(そもそも今の日本だと生徒さんという時点でアレですが。笑)別れてたって二番目の妻なんてとんでもない。貞女二夫を更えず、みたいな(この場合は違うか。笑)。しかし、彼も諦めずかなり粘り強く求婚し続けた。彼女も固く断り続けた。
あるとき学長は農薬を飲んで自殺を図ったが、運良く助かった。
彼女はさすがに諦めて求婚を受け入れた。
輔英大学の学長(ご存命か分かりませんが)とその奥様のお話でした。
ほんとただのつれづれ話ですみません。