うちの父は最後あたりまで

職人の仕事してました。

いわゆる作業着作業だけど

そこらの人より頭良く大卒の人と

理系の話もトントンだった。

新しい機材や素材・組織や行程も柔軟で

勉強熱心ってよりも勉強が当たり前。

天気が左右されるような職種なのに

天気に左右しながら仕事してく人だった。

その後、父を習って独立した人も

何人もいたけど彼等が成功しなかったのは

勉強熱心でもなく勉強は当たり前でなかった。

父の姿を当たり前に育ってきて幸運だったと

感じたのは、昨日みたいな天候の日。

 

PCが頼りな事務作業で、PCがメンテが必要な日は

違う仕事を探せばいい。

頭を使わない作業は、集中力切れそうな作業中に

速さ勝負でメリハリ付けに組み込んでみるといい。

 

私が最も苦手な言葉は合理的。

つい最近まで、この合理的という言葉が

大好きな人が職場にいたんだけど。

 

合理的ってのは、

例えば厚かったり、太すぎる作業の束を

ずーっと続けていって、後半から終わりに近づいた時に

やっとコツや早く終わらせれる事に気が付くような物と同じで

終わりかけまで突っ走った人しか、

次に同じ作業する時に「合理的」ってのを見つけられない。

 

この合理的な物を見つけれる時ってのは

大抵が頑張りぬいた後の、

閃きというご褒美なんだろうなと思う。

だから、他人に投げるような単語ではない。

 

こういった、豪風雨になると

いつも現役だった作業機の父を思い出す。

多分、同じように父を思い出している職人も

いるかもしれないけど・・・ちょっと彼等は勘違いしてるかもしれない。

 

 

 

昔、忘れられない光景は

昔は珍しい、24時間体制の工場があって

父と散歩中に(幼少時)

声をかけようとした時の父の反応。

今では勉強が当たり前だった父らしい台詞だなと思う。

 

 

「パパ、ココの工場ってさ・・・」

 

「そうだよ、働き者なんだよ」