うちの息子、
「どっち?」の二者択一出来るのに
6歳くらいかかりました。
幼児教室通ってたんだけど
そこからスタートしてたんですよね。
息子は、乳児(生後3カ月)くらいから
通ってたので、
6歳とはいえども、物凄くながーく感じるかなぁ。
今日、習い事で
単語を組み合わせる文章作りを
してたそうなのですが、
息子ったら
「ねこと、おとうさんと、おかあさんが大好きでーす」
みたいな文だったそうでね。
先生から、
猫が一番なの!?と聞かれても
(・∀・)ウン!!
って感じだったそうwww
息子と帰りに
「お父さんとお母さんと、犬と猫どれがすき?」
って聞いたら、やはり
「みーんな好き(`・ω・´)シャキーン!」
選べないよ(´・ω・`)?
って感じでね・・・・
やっぱ、こういう事かと答えが出ました。
10年かかってさ。
やっと、息子の気持ちが分かりました。
多分息子は、みんな平等なんだろうね。
それぞれ、平等に儚さってのがあるのを
昔からずーっと分かってたのかもしれないなぁと・・・。
バリアフリーなのは、本人達なんだろうね。
本来あるべきインクルーシブの姿も。
区別があって、
それぞれの教育の場所は
学校別や学級別がしっかりあって
その見合った環境の中で
子供達はスキルの近い子供同士
共有したり、競ったり、仲間を感じて
心配したり、相手を喜んだり、嫉妬したり
親や大人とは違ったコミュニティと
自我を守り、互いを守り合い、尊重したり反抗もして・・
改めて
交流の時間(授業)を設けてこそ
インクルーシブになるんだろうなぁとね。
今ある足元を守らなければ、
相手も守れないし、
共有も守れない。
深いなぁ、選ぶという事。
最近、ウギャーみたいなのが減ったというのを
話しててね。
それに気が付き始めたのは、児童デイの先生。
その後、ヘルパーさん。
やっと後に気が付いたのが私。
もしかしたら、児童デイの先生が
ハッ!?とした時に学校の連絡帳に書いてたと思う。
多分、彼の一番としている社会の中で
そこで親の目が見えない所で我慢や
経験や学びや共有があったという証拠。
ヘルパーさんとだったら2ショットだし、
親子だったら都合良い子が多いものね。
親は親でしか出来ない役割ってのがあって
それ以上はどんなに苦労しようとしても
出来ないものなんだよね。