私の長所であり、短所である面は

「他人の評価を気にしない所」

やんわりと、気付いていたけれど

鮮明になって来たのは、

息子の存在と、

息子を通じた社会では息子を守りながらの繋がりと

社会復帰して他人を守りながらの繋がりの中で

生きていく事が多くなったからかもしれません。

 

私は、自分の特性により

数字の付けられない表現や曖昧さの中でも

パーセンテージ的に数字を付けてしまう所。

ずるい所は、数字的な表現は

%方式にしてしまった方が楽に出来る事を

生きてく中で学んでしまった事です。

(未熟な頃はパーセンテージより数字的な表現に

したがっていた。色や、音色、味覚等の感覚で得れる物)

 

変わり者であっても(他人と平等に)特はあるからそれでいい、

ただ他人との生活では変わってる事は自覚した方がいい。

そういった生きやすさを教えてくれた中で

この年齢まできたので、自己満足はあっても自己評価と

他人の評価は気にならなくなってしまったんです。

 

評価に興味が無く生きていると、

たまに社会で苦労する事があるんですよね。

それは、社会だけとは限らない身近な所でも。

評価がある事でモニタリング力も増したり

ポテンシャルになる事もあると思うから。

 

でも、私は自分を生きやすくする為に

自ら評価という物を消したんです。

自分の苦手分野である他者モニタリング。

優しさや、思いやり、お節介ってのも

評価という重りが無い方が、

無制限に相手への想像力が広がるから。

 

 

兄の彼女は昔よく、

「世間一般では」という言葉が大好きで

父の再婚相手家族と、

父の元結婚相手(死別した私の母と作った家庭)との

順番に拘りを持つ人で、何度もそれに私を苦しめててさ

なので、私は「世間一般では」という単語が

苦手になったり。

 

友人がよく私に

「普通はさ」「みんなも」という言葉で

自分のやりたい時だけそのルールを見つけてきたり

作り上げようとしたり、

 

今の職場でもたまに

「普通の〇〇は~」と言って

他人へ仕事まわしたり、他人の仕事を増やしたり

少しでも楽になろうとする。

 

 

評価って・・何だろうなぁ~と思う。

強くて弱い人の為の武器なのだろうか・・・と

いらない人間からすると、そういった感じで読み取れる。

 

話は変わり、

さっきituneの映画でシルクドソレイユのBeatlesの映画を

観ててジョンレノンの母親の話が出てね。

昔もやんわりとイメージ残ってたけど

今、久しぶりにその問題を感じ取ると

どれだけ、子供は母親を求めていて影響されているかという事。

それは、

ジョンレノンが歴史的に、Beatlesの作品として残している様に

ジョンレノンが母親に求めている想いは自身が亡くなっても

未だに想いは強いとは思う。

その代償は二人の妻と二人の息子が物語っているでしょう。

ジョンレノンは有名人だけど、

大抵の子供は、大人になり自分が親になってしまっても

求め続けてしまう物だよね。

 

私も、7年くらい前は数か月の虐待だけど

当時分からなかった自閉症である息子の幼児育児に

どんだけ苦しんだか分からないし、傷めたか事か。

そして、依存症からや離脱症状から脱出する人と

同じようにそこから抜けだす為に傷み苦しんだ事か。

息子は、当時と変わらず今もこれからも

母親を求めるんじゃないかなとは思う。

それが、時には甘えたり八つ当たりしたり、反抗期だったりと

その時々変わるだけで。

でも、私は息子を注ぎ続けたとしても

それほど求める事はないだろう。

ジョンレノンの母親と同じ人生を歩まず、

一緒に暮らし育てたとしても。

 

強くと弱い人とは、母親を求める子供にも

言える事なのかもしれない。

 

 

生き辛さの中で、普通に沿った生き方を

学んでいかなければならない、不器用な子供達。

生きやすさを育てながら、教えていく事で

彼等はやんわりと満足してくれるかもしれない。