そもそも、私の中で与えた療育ってのは
集団生活の中っで、生きていくコツ。
この細々な議題の中の一つを
いかにして、違った角度から
遊びや工夫で
ゲームや試練を与えるかという物だった。
今の私が息子に与えなければならない
与える療育ってのは、
挨拶・我慢・目標・試練・イメージ・計画・・・・・
気が遠のいてしまいそうなんだけど
コレしかない。
未だに箸は使えないけど
ゲームするのに、器用に手先を
使えるようになったので
態々無理して汚い食べ方をして
美味しさを感じられなくていいのかなとも思う。
それを求められる社会には彼は
生きてないから。
癇癪を起して終わりだろう。
幸い、彼はフォークで食べてるけど
スプーンとの使い分けが完璧だし
フォークで食べている時に
手づかみにする動作が圧倒的に減った。
コレが終わった頃に、箸に移行できるかなと思う。
箸が面倒な時は手ではなく、フォークを
使う様になるからね。
だから、試練というよりゲームと時間が必要。
何度も食事を繰り返すしかない。
彼に必要な物があるとしたら、
余暇の時間に、
今のパターンからまた離れた
安全の遊びのレパートリーを一つ
増やしていく事と
機嫌が悪い時は大きい声を出す。
しかし、大きい声を出しても構わない場所限定。
ってのを覚える事くらいかもしれない。
全て、経験を積むしかない事ばかり。
どう、母である私が
彼に経験を与えられるのかは
頭を抱えてしまうけど。
これからも、観察していかなければ
いけないのは変わりない。
観察しない限りは、始まらない。