ここ最近、子供の体調不良から
私のあらゆる方面での色々あって凹む事があったんですよ。

その時思いました。
子供の心配は結構楽なんだなと。
確かに、子供は心配の種でありどうにかしたい物。
でも、心の奥底から傷つけられる事はないんです。
凹む事や、傷つく事はあったとしても、
辛い事もあったとしても、切ない事はあったとしても
傷つけられる事はない。

その時に、好きな事を続ける為に犠牲したり
何等かの大変な事を乗り越えていったり、
堪え忍んでいくのは楽な事だと言ってた
バンドメンバーの言葉を思い出しました。

子供との積み重ねる時間よりも
頑張っていてもそういった面でのプライド傷つけられたり
勝手に見比べられて
上から目線で何等かの伺いかけてきたり、
自分の守る世界を覗かれ突かれようとしていたりする、
全否定されてしまう方が、とても辛かったりする。

それで、障害児の親が
障害児の子を天使というのはこういう事なんだなと
今更ながら思いました。
障害児は、相手を邪魔にしたり怒る事はあっても
全否定する能力は無いからね。
あぁ~だから、親の私達からは天使に見えたり
何はあっても楽しい事だと思いながら過ごせるのかと。


ここ最近、ちょっと私も色々ゴタゴタ大変だったのです。

あぁ、私の躓きからの立ち上がりは
コレッぽっちだったんだとさ。
自分では大きな山に見えてたけど
他人からしたら、そんな物は小石程も無いんだよねと
思う出来事もあったり。

障害児たちの様にパニックしたり自傷出来たら
どんなに楽な事か。
今の私に、何が必要であり問題行動を起こしたら
私は楽になれるんだろうか~・・・という気分に落ち合ったり。

気が付けば、私って結構ゴミ箱なんだな~と思い、
みんな適当に色々な面倒事を投げてきてくれるのは
結構なのですが。
そのゴミ。。。吐き出してくれるのは結構なのですが
せめて分別くらいはしてくださいよ~
あなたのゴミ、厄介な物は
こちらにお任せ、あぁそうですか。ハイハイ。
って、ダークサイドに落ちそうになったりさ。

ゴタゴタ色々ありました。


なので最近の 私は息子に注目してなかったのです。
っていうよりも、息子に注目する余裕も無かったのですよ。
例え、看病してたり色々育児をしていたとしても
心、そこにあらず。

そうした時に、生まれたのは。

息子の湿疹、そして喘息症状。
熱の後の残り香だとは思うのですが、
結局は、息子は
母親の私から注目されてない事の孤独感から
生きる気力が無いパドメ・アミダラみたいになってしまったという。

自閉症の子って、ほんと見てない様で敏感。
彼らは、常に守ってくれる人の心の電波を
察知してしまうんですよ。
正に、ワイヤレスネットワークを検索する様な行為(笑)

障害あるなしに関わらず、子育ての
抱っこ法でよく聞く、コップの水みたいな物です。

例えば、子供の心にあるコップは水(愛情満足)がたまってない。
親は本来なら、水を注がなければならないのですが。
前日、前々日に注がなずに終えた物は
親は忘れたり気付かなかったとしても、子供は溜まらなかったコップを
今日のコップと共に、ずっと持ち続けている。
つまり、昨日の孤独(愛情不満)は
今日の孤独(愛情不満)とは違う物だという事。

親は、今日のコップを注ぎ。
前日のコップにも注ぐようにする。
前日のコップに注げたら、その前々日のコップにも
水を灌ぐようにしていけるという物。

水を注ごうとする行為の中に、
【あの時は辛かったね、ごめんね】
と、改めて謝る事が出来て。
子供も、溜まらなかったコップを持ってくる事が出来る。

みたいな話だと思った。

↑抱っこ法の講座を聞いたのは4~5年くらい前の話なので
あやふやですみません。

しかし、とある臨床心理士と話をしてたら
抱っこ法は逆に、心の闇を思い出させる行為で
本人が必要性があり、忘れかけている時もあるので
その行為を邪魔するので
抱っこ法は勧められないという話を聞いた事が(笑)

なので、親があの時はごめんね。
ってのは、前後1~2週間程度の
思い出話ならまだイイのかもしれないね(笑)


今日から私も5日間ほど冬休みに入ります。
久しぶりに一緒にいれるので
子供に注目してみようと思います。
子供を心配しないと、親のスキルは生まれないのが面白い。