これの前々ブログには、
エピローグとして
【あおり】と、【くすぐり】をされる側の
心を最初に書きました。
【あおり】と【くすぐり】 そして、心①
その次に、
【あおり】と【くすぐり】をした後に
親として何を芽生えさせたいか?という事を
書き並べました。
【あおり】と【くすぐり】 そして、体②
そして、今日は
大人が例となりますが
【あおり】と【くすぐり】の地盤を
書きます。
今私が働いている会社は
フランチャイズ系の職場なんですよ。
以前働いていた職種もあるんだけどね。
だからかな、この年になり気が付かなかった事が
気が付くようになりました。
社員たちをまとめる人と
パートをまとめる社員たち。
その社員をまとめる人。
まとめる人でもその職場により
様々な役職の方がいらっしゃるとは思います。
そこで、結果を出しているまとめる人は
「褒めて伸ばす」か、
「叱りながら伸ばす」になると思う。
確かに、仕事ってのは育児とは違い
伸ばすっていう感覚はないんだろうけど。
でも、一度雇われた人間というのは
伸びるしか道はないのです。
私はどんな職場でも、
雇われてせめて3カ月~半年は
会社はその人を雇う事で黒字になるのは
ありえないと思うんだ。
その後4カ月~1年後に始めて
その人は会社の利益となる働きが
出来るようになると思うのです。
雇う事で助かる事は増えたとしても。
どんな人でも、
叱る気持ちが備えないと
「褒めて伸ばす」という行為は出来ないし
褒める気持ちが備えないと
「叱って伸ばす」という行為は出来ない。
なので、結局は伸ばした側と
伸ばされた側の強い印象でしかないんです。
「褒める」か「叱る」かは。
褒めるつもりで挑むと
育てられる側は褒められて育てられたという
印象になり、
その子は自分が誰かを育てる時に
褒めようとする。
逆に同じように、
叱るつもりで挑むと
育てられる側も叱られたという強い印象で
その子が自分が誰かを育てる時に
叱ろうとする。
正に、論して支援と
視覚的支援と、動作的な支援みたいな物。
諭して教えられた子供と言うのは、
他人に諭すよね。
だから、子供に教える時は
どの支援を選ぼうとも
なるべくシンプルにする必要がある。
「褒めて」と「叱って」には、背中合わせだとしても
背中合わせにはならなのが、
【あおり】と、【くすぐり】です。
【あおられ】ながら「褒められ」伸ばされた人。
【くすぐられ】ながら「褒められ」伸ばされた人。
または、
【あおられ】ながら「叱られ」伸ばされた人。
【くすぐられ】ながら「叱られ」伸ばされた人。
最近知ったのは、大人でも
まとめる人が【くすぐり】癖がある人と
【あおり】癖がある人ってのがあって
それが、教えられる方の持続力に深い関わりを
持ってしまうという事です。
これ以上は書けないのをお許しください。
ただ、なるほどなと伝わってもらえたら幸いです。
最初は誰でも、
【あおる】という段階には行きません。
子供を【あおれる】ようになった時は
子供がだんだんわかるようになって来たり
親も子供自身を理解してきた頃に思います。
要は、具体的な行動面や身辺自立に関わらず
心理的にも
全介助(支援)されていった子供が
一部の介助(支援)に変わっていった状態です。
そして、この【あおり】段階からステップしていき
一部介助(支援)から、
見守り体勢に移る際に
ちょっとひねって、【くすぐり】に変わって
もうちょっと、一部介助(支援)に移るか
もしくは、【あおり】から見守り体勢と変わっていくか。
ちょっと遠回りになってしまいますが
子供をくすぐりたくなりますよね。
今日は、子供を見守っていく側の
【あおり】と【くすぐり】を書きました。
エピローグとして
【あおり】と、【くすぐり】をされる側の
心を最初に書きました。
【あおり】と【くすぐり】 そして、心①
その次に、
【あおり】と【くすぐり】をした後に
親として何を芽生えさせたいか?という事を
書き並べました。
【あおり】と【くすぐり】 そして、体②
そして、今日は
大人が例となりますが
【あおり】と【くすぐり】の地盤を
書きます。
今私が働いている会社は
フランチャイズ系の職場なんですよ。
以前働いていた職種もあるんだけどね。
だからかな、この年になり気が付かなかった事が
気が付くようになりました。
社員たちをまとめる人と
パートをまとめる社員たち。
その社員をまとめる人。
まとめる人でもその職場により
様々な役職の方がいらっしゃるとは思います。
そこで、結果を出しているまとめる人は
「褒めて伸ばす」か、
「叱りながら伸ばす」になると思う。
確かに、仕事ってのは育児とは違い
伸ばすっていう感覚はないんだろうけど。
でも、一度雇われた人間というのは
伸びるしか道はないのです。
私はどんな職場でも、
雇われてせめて3カ月~半年は
会社はその人を雇う事で黒字になるのは
ありえないと思うんだ。
その後4カ月~1年後に始めて
その人は会社の利益となる働きが
出来るようになると思うのです。
雇う事で助かる事は増えたとしても。
どんな人でも、
叱る気持ちが備えないと
「褒めて伸ばす」という行為は出来ないし
褒める気持ちが備えないと
「叱って伸ばす」という行為は出来ない。
なので、結局は伸ばした側と
伸ばされた側の強い印象でしかないんです。
「褒める」か「叱る」かは。
褒めるつもりで挑むと
育てられる側は褒められて育てられたという
印象になり、
その子は自分が誰かを育てる時に
褒めようとする。
逆に同じように、
叱るつもりで挑むと
育てられる側も叱られたという強い印象で
その子が自分が誰かを育てる時に
叱ろうとする。
正に、論して支援と
視覚的支援と、動作的な支援みたいな物。
諭して教えられた子供と言うのは、
他人に諭すよね。
だから、子供に教える時は
どの支援を選ぼうとも
なるべくシンプルにする必要がある。
「褒めて」と「叱って」には、背中合わせだとしても
背中合わせにはならなのが、
【あおり】と、【くすぐり】です。
【あおられ】ながら「褒められ」伸ばされた人。
【くすぐられ】ながら「褒められ」伸ばされた人。
または、
【あおられ】ながら「叱られ」伸ばされた人。
【くすぐられ】ながら「叱られ」伸ばされた人。
最近知ったのは、大人でも
まとめる人が【くすぐり】癖がある人と
【あおり】癖がある人ってのがあって
それが、教えられる方の持続力に深い関わりを
持ってしまうという事です。
これ以上は書けないのをお許しください。
ただ、なるほどなと伝わってもらえたら幸いです。
最初は誰でも、
【あおる】という段階には行きません。
子供を【あおれる】ようになった時は
子供がだんだんわかるようになって来たり
親も子供自身を理解してきた頃に思います。
要は、具体的な行動面や身辺自立に関わらず
心理的にも
全介助(支援)されていった子供が
一部の介助(支援)に変わっていった状態です。
そして、この【あおり】段階からステップしていき
一部介助(支援)から、
見守り体勢に移る際に
ちょっとひねって、【くすぐり】に変わって
もうちょっと、一部介助(支援)に移るか
もしくは、【あおり】から見守り体勢と変わっていくか。
ちょっと遠回りになってしまいますが
子供をくすぐりたくなりますよね。
今日は、子供を見守っていく側の
【あおり】と【くすぐり】を書きました。