昨日は、児童デイで私も
親馬鹿ぶりを発揮しました♪

先生から、curo男くんはどんなアプリゲームが
好きなんですか?と聞かれたので
自慢気に
「美少女ゲームです!!」

先生の頭の中が「へ?」という言葉しか
埋もれて無いのが手に取るように分かり。
思わず、フォロー。

「あ・・・大人が好きそうな、エロい感じのではないですよ♪」

「この子はね、本物が好きなんです。
例えば、ラブライブ!!
プリキュアとか子供の女の子が好きな物ではなく
大人が本気で美少女系のアニメが好きそうな物を
好きなんです」

「初音ミクとか好きだったり、ほんとこの子は
凄いんですよー」

っとね・・・。
そこらの子供が好きそうな物には興味が無く
大人の目から見て好きな物にしか興味が無いんです!
と、オーホッホゥと息子をフォローしたつもりが
逆に、先生達がモーゼの海みたいに引いてくのが伝わってきました。

多分、息子にではなく私の親馬鹿ぶりに・・・。
何という残念さ。

以前も、馬鹿親と親馬鹿の話を書きましたが。

とある言語の本を読んだ時に、
「親馬鹿になってもいいんだ!!」
という感動溢れた事があります。

それ以来、私の夢は親馬鹿。
勿論、小規模とはいえ息子は小学生になり
集団行動の中なので制御してモンスターにならない様には
心がけています( ´艸`)

前に書いてしまったらすみません。
私の中で史上最強の馬鹿親と親馬鹿がいます。
子供の方は史上最強の悪い人で
史上最強まではいかなくとも音楽界の歴史を変えた人。
史上最強の悪人も悪人界では歴史を変えたかも知れないけど。

今回は、その子供がどういう行動をしたかは無視してください。

私の中で史上最強の親馬鹿だなと思う人は、
アルカポネの母親。



どう育てたら、そんな悪人になれるのか分かりません。
しかし、彼は人を殺した後でも
母親の夕飯を食べにシッカリ家に帰る人でした。

マフィアだというのに
最後に警察に捕まった際、
「うちの子はそんな事をしていない」

犯罪を犯しにいく息子に対し
「ご飯を食べて行きなさい」

アルカポネが最も愛した料理はトマトとニンニク&唐辛子のみの
パスタだと思った。
ボローニャではないんだけど、すいません。
頭からあのパスタ名が出てきません。
驚くのは、アルカポネの下にいた悪人たちも一緒に
母親に、一緒に食べてから行きなさい!と言ったとか。

本当に、テレシネは我が子の犯罪に気付いてなかったのか?
それが本当だったら、史上最強の天然になるよね。

でも、そんな母親はいないと思う。
どんな子でも大好きなパスタを理解して、
家に帰って食べるのを理解してない訳がない。

この子の味方にならない人は私しかいないという
気持ちからこの史上最強の天然を演じたのかな?と思いたい。
天然を演じるのは大きな罪ではあり、
本当に愛してるのなら、その犯罪を手に染める前に
違う道の方法を歩めたんじゃないかな?と思うのですが。

でも、この史上最強の親馬鹿。
親として考えなければならないなと思ってしまいます。

また、史上最強の馬鹿親と思うのはこの人。
フレディマーキュリーの母親。

フレディは母親に音楽の道を受け入れて欲しくて
ラブコールをひたすらにしていたのですが、
一度もこのフレディには見向きをしませんでした。

長い道のりを、
当時のイギリスで差別の中で生きていて
でもその人種の中では中級家庭で上の方だったかもしれない。

そんな中で、あのフレディに知識を与えたのは
並々ならぬ努力。
だからこそ、受け入れてはならないと拘ってたのかもしれないけど。
実際に、フレディは一度も母親に見て欲しい所を
見てもらえないまま亡くなりました。

そんなフレディの母親ではありますが
最後に一度だけ、息子のステージを見る事はしませんでしたが
ステージに立ちました。
言葉はこんな感じ。
↑間違ってたらすみません。

「私は息子が音楽やってる事は認められなかった。
今でも認める事は出来ません。
しかし、息子が沢山の人に愛された事は分かりました。」

こんなバカな台詞があるのか?
愛してくれた人達への敬意かも知れないけど。
フレディマーキュリーが大切にしてた物が
ステージだと思い、またメンバーだと思い、
ファンだったと思うからこそ言った言葉であり
今迄の意に反してステージを眺められたのかもしれないけど。

長年チケットを送り続けた子供に
ステージを観なかった親の拘り。
コレって、子供の心に対しては史上まではいかないけど
最強の罪。

どれだけの太い絆と、どれだけの太い愛が繋がったとしても。
子供への視線を、視界で伝えられなかった母親は
どうしても、史上最強の馬鹿親としか思えません。

フレディマーキュリーの一人の母親としての素晴らしさは
勿論そうなのですが。
でも、訴え続ける子供の手を拘りで払いのけるのは
どうなのかなぁ?と。
これも、一人の母親像として考えておきたい行動に思います。

多分、何度も足を運びたかったのかもしれないし
誰よりも子供を応援してたのかもしれないけど。
でも、生きてるうちにして欲しかったよね。




私達親は、いつまで親として
または子供も子供として
生きていれるか分らない。
だからこそ、生きているうちは
自分自信を足蹴にしてでもいいから
子供を見ていてあげたいよね。
正しい道に導くのも、
親だからこそ選択を導けるのもある。