息子は私の父が好きで、ジイジ、ジイジと
子犬の様によく懐く子でした。

あ~お爺ちゃんっ子なんだな~と
思ってたのですが。
その子犬の様に懐いている答えが
先日分かりました。

先日、息子と旦那と私で
三人で食事を終えたときの事。

階段がある店だったので、
旦那は列に並び会計へ。
私と息子は先に階段降りて
次に行こうとしている店に行っていようとした時のこと。

息子はなかなか思う様に行かず。
旦那と一緒に列に居ようとしてたのです。

そこを私が手を引っ張ったり
色々、いつものテクニックで息子を誘導しようとして
何とか店の階段まで半ばまで下りて行ったのですが
息子が

「一人ぼっちになっちゃうヨ」

「パパが一人ぼっちになる。」

と、発言。
息子が店に居たがってたのは、
私と旦那が先に行ってしまったら
旦那が一人ぼっちになってしまうから
会計の時も一緒にいたいという事。

息子が私の父に懐いてる様に見えてた姿は、

父の足が遅くて
後ろの方で付いていくのが多かったのですが
その様子が一人ぼっちに見えて
心配で一緒にいたかったという事。

だから、そんな私の父に
子犬の様に懐いてたという理由。
ゆっくり着いてくる父を心配してたという
理由だけじゃなかったという。

自閉症の子は他人が見えないようで
孤独そうな人を心配するという習性がある。
心が誰よりも過敏だったり鈍感という事なんですよね。

感覚過敏に、触覚、聴覚、味覚、視覚、嗅覚・・・・
それぞれありそこに鈍感や敏感さがあるなら

心の過敏には、孤独に対しても鈍感さや敏感さがあり。

他人から軽蔑されたり嘲笑われたり煽られたり
健常者からみたら耐えられない様な屈辱も
(相手側からしたら、それは虐めではなかったり
仲良くなるため興味だったり、イジリだという理由だとしても)
本人達はトレッシングペーパーやリトマス紙以上に
見事に心の裏側まで相手を読めている
という。

例え、他人は誤魔化したつもりだったり
解らない様に表したり、
気付かれても支障は無いと思っていたとしても。

その経験の積み重ねが
あえて鈍感にもなってしまったり敏感にもなる。

貧富もカラーも年齢も健常も障害も性別も関係無く
誰もに平等にある物が1日が24時間だったり、
それぞれの立ち位置にある重力や引力だったりするのですが、
これの他にあるのは、心。

重度知的障害から軽度知的障害を持つ子、
グレーやギフテットの子に出会った人なら
分かると思いますが彼等にも心があり。
(一人ずつではありますが
サヴァンとギフテットの人に出会った事あります。)


親自身が、自閉症という病名を始めて聞かされた時に、
自分を閉じるという意味の病名だと捕えたり
この子は自分を閉じる子ではないのに何故自閉症?
確かに変わり者だとは思うけど
他にこの子の病名はあるのではないか?
と、始めは思ってしまう事もあると思いますが。

今では、私も自閉症という物の特徴についての
勉強をしているので
自閉症は自分を閉じる病気の事だとは
思わなくはなってしまいましたが。
(自分も自閉症だと言う事を理解してしまい
かなり楽な生活へとまで変わってしまったのですが。)

大人になるにつれ独自の世界から
個人の世界へ彼等なりに確立していき
自分が社会からは閉じられた世界にいる事を
理解して生きていくのが
自閉症なのかもしれないなと思いました。

自閉症の子を連れて行くと、よくある事なのですが
-の磁石と+の磁石の様に
自閉症の人から注目されたりするのです。

例え、その時は良い子の仕草をしていたとしても。
自閉症の人からは、自閉症の子供を見分けてしまうのです。

それは、多分。
彼等は孤独の世界に生きているからこそ
同じく自閉症のこの子は孤独の中にいないか?と
心配なのかもしれません。

自分が社会からは閉じられているというのを
理解しながら生きて行く性。

いわば、
社会から閉鎖された世界というのは
白い壁の箱の中での生活みたいな物で。

その子の鈍さや鋭さを
肯定的に上手くかみ合わせながら
それはパンドラの箱なんだよとか、
フォレストガンブの母親みたいに
チョコレートの箱なんだよと
教えてあげる事で
壁のキャンパスみたいに好きに描いた
世界にさせてあげられるか。

肯定感。
達成感。

肯定出来なかったり
達成が見えなかったりしても
拒否出来たり
そこに座り込んでる姿を
認めたり、
自分を守れてる行為を
褒めていきたいなと思いました。

これからは、親離れ子離れできない
母子と見られても気にしません。
他人の孤独を心配する息子だと
知った以上は、貴方は
必ず誰かの心の支えになれるんだよと
いうことを、
本人が理解出来るまで教え続け
られたらと思います。