今回の裁判の結果は
人間意識から見ると
とても理不尽なことが多い。
自由気ままに自分の好き勝手に
回りを振り回して生きることを
ずっと貫いて来た、貫いて来られた人は
それがまた通って行く。
振り回されて
それを許してきた人間は
また好き勝手にされて
それを受け入れるしかなくなる。
思い返せば、
こうならないタイムラインを選ぶ
岐路はいくつもあったように思う。
だけどね。
振り回されることに慣れた人間は
自分で選ぶことが出来ないの。
こっちだよ。
こっちを選ぶんだよ。
望む結果を出したいならこっちだよ。
わかったと答えてくれるものの、
その後、約束はいつも破られた。
アドバイスはいくつも宙に浮いた。
少し前の、私が急ぎすぎたと反省した件も
もし、あの提案に乗ってくれていたら
違うタイムラインに乗れたのかもしれない
そう思ってしまう。
だって、
望むタイムラインが現れた結果としての
選択行動だったから。
だけど、
そう言う選ぶことが出来ない人を
目の前に映し出したのも私。
結局、自分で提案しながら、
そこに動くのを恐れて
提案に乗れなかったのも私なんだな。
確かに恐れはあった・・・
あったのに、それを見つけていたのに
完全に払拭出来なかったのは私。
そして、私の世界のみ考えると
姪っ子のお世話に通うのは
私の自己犠牲をともなうことでもある。
嬉しい楽しいこともある反面、
やはりどうしても自己犠牲は少なくともある。
これからの時代はそれはダメなんだろうな。
まだまだ、整理はつかないけれど
今書いたことも、
大きな出来事のひとつふたつの側面でしかなく、
まだ違う側面も頭に浮かぶ。
なんて多面的なんだろう。
人間意識から見た理不尽さにフォーカスすると
無限ループに嵌まってしまう。
嵌まりたくなる衝動を抑え、
私は覚醒的な捉え方を選びたい。
未熟ながらも
歯を食い縛ってもそちらに向かいたい。
歯を食い縛る力はまだまだ弱いかもだけど。
とりあえずの今頭によぎる話でした。


