こんにちは音譜hanaですニコニコ


先日アスペルガーのお薬をやめたYちゃんのお話をリブログして書きました




それを書きながら、ふと、自分の中で医学や薬について思いを出すことへの罪悪感が薄れてるなぁ~ってことに気づいたお話・・・


きっと、昔なら共感してもリブログしなかったかもしれないなって思ってあせる

だって、

お薬を服用している人にとって不快に感じるかもしれない・・・
責められたように感じて辛くさせるかもしれない・・・
自分の体験でもないくせに分かった風に書くなって思われるかもしれない・・・


そんな風に自分に感じていましたあせる






私自身は多分、いわゆる薬品(細かく言うと農薬や添加物や合成洗剤とかもかな?)は、基本的に生活にあまり取り入れていません。必要だと判断した時は使いますし、こだわりはあるけど、こだわらなくても平気な場合も結構あります


日常は使わないでいられるようにしていたい
代わりに必要な時はしっかり選択したらいい爆  笑


こだわらなくても平気な時っていうと、

「我慢したくない時」
「出先で困る時」
「一緒にいる人に合わせる時」
「ここは大事ってとき」


とかかな・・・

 

 




たとえば・・・
毎年のインフルエンザとか分かりやすいですね~

毎年流行るインフルエンザですが、

うちは家族の人数も多いし予防接種は受けません。


なんでかと言われると・・・

予防接種のメリット(インフルエンザの予防・軽減効果)とデメリット(費用・効果の低さ・副作用)を考えて、インフルエンザになって苦しむ数日間のメリット(体の免疫機能が活性化・熱でデトックス)とデメリット(きつい・辛い・休まなきゃいけない・脳症の危険性)を考えた結果

「インフルエンザになったらゆっくり休んで回復したらいいさ。新しい抗体も自分の中にできるしね~」

って思いを選択するから


でも、これはその都度変わります
今年なんか受験生もいるし、打ってもいいな…とか迷ってます(でも時期的にもう遅いかww)


で、


インフルエンザに対しての「恐怖心」が強い人、

あるいは「薬の副作用」への恐怖心が強い人、

はたまたどちらに対しても恐怖を感じる人・・・




は、選択をすることそのものが苦しくなります・・・

なぜなら怖いから・・・



選択肢に恐怖があるということは、自分の選択そのものにもどこかで恐怖を抱えます・・・


だから、選んだ自分の選択が間違っていないという強い保証が欲しくなり、


「ただの好み」


の選択肢に、


「正しい」

「間違っている」


という余計な意味を乗せようとしてしまいます・・・







ここからは、

「ブロックがあると、選択したことに対して罪悪感や執着を持っちゃうものかもなぁ~」

と思えた昔の私のお話チュー



私はもともと子供の頃から自然派志向だったのが、一人暮らしで反対の生活をし、子供を産んでもう一回自然派に戻ったっていう経歴の持ち主です(笑)

基本的に田舎者だからどこかでぼんやり自然に触れてないと心が病んでくタイプ(登山するとか、サーフィンするとか、農業するとかのアクティブに自然を満喫する感じじゃないwww)

なので、ヨガも、食の学びも、生活スタイルを見直すのも、

基本的に好きだからドキドキやっていましたドキドキ




なのに、以前の私は他人との境界線がうまく引けていなかったため、友人の「健康のお悩み」を聞くと、私の持っている知識とスキルが彼女の役に立つんじゃないか?「何とかしてあげたい」と思うようになっていたんですあせるあせる



でも彼女はヨガも食も興味がなかったんですね(笑)


境界線をひけていればそんなこと気にならないのですが、私はどうしても自分が役に立てない気がして、いつも体調が悪いと悩んでいる彼女への心配が抜けなくて・・・どうしたらいいんだろう…と思っていました

痛みが出そうな時は事前に薬を飲み続け、それでも薬が効かずに辛そうにしている彼女を見ていると私が辛かった・・・


役に立てない自分を感じるから辛かったんです・・・



今は分かります(笑)
彼女は病気の痛みや不安に寄り添ってほしかったんですよね・・・
私も、それが分かるから寄り添いながらも・・・

心の中では、寄り添ってるだけじゃ彼女はどんどんひどくなってしまうんじゃないか?
後で私は後悔するんじゃないか?
本当に友人ならもっと具体的にできることがあるんじゃないか?

ともやもや・・・

UMIをやっている今ならわかります・・・

心配という名の自分のブロックの押し付けです・・・あせるあせる

そりゃ役に立てるわけないわ・・・あせるあせるあせる






昔、父が睡眠薬から始まり鬱の症状が出て、どんどん強い薬を飲むようになったことや


悩みやすいけどお調子者で明るかった友人が、躁鬱と診断されてから薬漬けになり、どんどん自傷行為を繰り返すようになっていったことなんかもあるのかもしれない・・・


父は、最終的に母が、少しずつ少しずつ精神薬を控えるようにサポートして、今はすっかり元気です爆  笑

あの時、母はただ単に薬をやめたら?というのではなく、母の不安を父に向けず、父への信頼と愛情から行動し、父もそれを受け取るタイミングが来ていたからうまくいったのでしょうおねがい

母は、姉のアトピーの時もステロイドとの付き合い方を模索していました。


そして、母の不安は、関係ない私が母の話を聞くことで、少しは消化されていたのかもしれません

そういう意味では、私もちょっとは役に立ってたのかも(笑)

でも、人との境界線をひけない私は、他人の話を聞くことで、見えない恐怖や不安を知らず知らずたくさんもらっていたのかもしれませんあせる







知らず知らず抱えた薬への不安はもちろん・・・



逆に、自分の判断で薬を使わない自分に対しても・・・


「医者でも薬剤師でも看護師でもないくせに!!
もし薬を使わないことで子供たちが大変なことになったらどう責任とるの!?」



って、無意識に不安もあったんでしょう・・・

薬の常用性や副作用への不安から、大切な人が薬を使うことを止められない無力感や罪悪感が生まれ、

同時に
薬を使わないと起きるかもしれない取り返しのつかない出来事への不安から、大切な人に薬を使わないない事への加害者意識や罪悪感が生まれる・・・


ブロックがあるとほんとに

身近な人への心配が生まれ、頭の中が忙しいですね(笑)


しかも頭の中が忙しい自覚が本人にもないからぼんやりした罪悪感をいつも感じていてすっきりしないってことになる・・・



こんな風に無意識に不安を感じて、無意識に罪悪感を抱えていると、さらに不安をあおる人や自分を責める(と感じさせてくれる)人が現れます・・・あせる


どちらにも罪悪感を抱える私は、いつも周りに両方の罪悪感を刺激してくれる人が現れてました(笑)




次回はそんなお話クローバー


 

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