朝からイラクの内戦勃発と集団的自衛権、TPPと食料自給率、ヨガの聖地、インドで繰り返されるカーストや女性差別と目を覆いたくなる暴行やレイプの数々。世界中の飢えや貧困、先進国の食の安全や偽装、薬害被害や利権について考えてるうちに、人の悪意や悲しみの螺旋にぐーんと落ち込みそうになっていたんですが…
ワールドカップを見ながらドログバと内戦終了へのエネルギーを想い、また先日、日本人男性が韓国でフリーハグの運動を行いたくさんの韓国人と笑顔でハグしている姿を見、ガンジーやダライ・ラマ、ネルソン・マンデラのように希望と平和への願いで戦い続けた人がたくさんいることを思い出し、そして名もない人たちがいまもたくさん草の根で笑顔を増やすために頑張っているんだよ!!って気づき、
「んじゃ今、自分に出来ることは何かなぁ?」って前向きに考え始めた自分に気づき、ふと、あれ?わたし変わったなって思いました。
で、ふと、これは書いておこうかなって思ったことをだらだらと書きますね。
ヨガの訓えの中でもよく出てくる言葉、
「サントーシャ」
サントーシャとは = 知足 = つまり、足りることを知る事です。
あれもこれももっともっと!!と欲しがることを戒めています。
昔の私は頭でどんなに考えても実際はこれが分からなかった。
自分に生まれつきの才能魅力があれば
両親が近くに住んでいれば
九州に帰れたら
旦那さんが~~なら
こどもがもっと~~なら
お金がもっとあれば
周りの人を見ては羨んだり憧れたり悲観したり(その人の本当の苦労や努力を見もせず)落ち込むばっかり。
でも、ヨガを始めて、その教えの深さに、心が静まるにつれて、自分がちっぽけすぎて、悩むのがあほらしくなりました(笑)
身の程を知ったってことです(笑)
昔も自分がちっぽけだと知っていたけど、それを受け入れきれなかったんです。
ちっぽけじゃない存在になりたかったから心の中がいつもざわついて、苦しくて、そうじゃない自分の存在や環境が悲しかった。
でも、旦那さんが職を無くしたり、職場で使い物にならなくて人にまで迷惑をかけたり、ちっぽけな自分に落ち込むだけ落ち込んで、最終たどり着いた結論。
自分がどんな人でも他人には関係ないし、誰も気にしてないってこと。
ほんとに気にしなきゃいけないのはそんな自分でも必要としなくちゃ生きていけない子供達だってこと。
あ、こりゃ教育上良くないなって気づいた。
羨んだり悲観したり、笑顔が消えたり・・・
子どもは敏感に反応する。
そのまま行動に出る。
それに気づいてから、このままじゃ嫌だなって思いました。
まずは自分の存在をちゃんと受け入れることから始めよう!と。
そしたら、ちっぽけでもあるんです!
やれることいっぱい(笑)
というか、ちっぽけだからこそやらなきゃいけないことたくさん。
子供がいる幸せ
遠くから私たちの幸せを祈っていてくれている両親や兄弟がいる幸せ。
孤独があったからこそ出会いを大切に出来るようになったし、
嬉しいことを言わない代わりに、否定する言葉も言わないパートナーのありがたさ。
大黒柱が一度職を失った事があるからこそ、働き口がある幸せ。
働いてくれていることへの感謝
不安はいつもあれど、そん時はそん時!
毎日ちゃんと精一杯生きるしかない!って思える幸せ。
子どもの良さは、短所の裏側にセットでついてくること。
家族が食べ物があって、寝る場所があって、毎日喧嘩しながらあーだこーだばかばかしく生きていけることの幸せ。
自分のマイナスは、自分で決めていること。
自分のマイナスは自分が受け入れたくないだけで、他人にとってはどうでもいいこと(笑)
マイナスの自分を許してあげないと、心の底からは人に優しくできない事。
なんで気づかなかったんだろって思います。
そんな個人のちっぽけな悩みやプライドと侮るなかれ。その小さな意識は家族へ、周りへどんどん伝わって影響して、大きな意識となってさらには社会を動かしちゃう力を持ってしまうこと。
海外の紛争や、環境問題、日本の今後、その陰で虐げられ続けている一般市民、女性や子供、あるいは日本でも、自分の代でばれなきゃいいやで後の世代にどんどんどんどん負の遺産を残し続けていること。
もしかしたら近い将来、子供たちが戦争に巻き込まれるかもしれない。
その時、彼らは他の道を考えず、戦争への道を疑わずに選んでしまうかもしれない。
いつからかわかりませんが、多分ヨガの影響もあり、地球で起きる全ての事は巡り巡って地球上に生きている生きもの全てにつながっている感覚が当り前になりました。
だからつい今日もコートジボアールの勝利をどれほど望んでいるかという人たちの気持ちを想うと私まで嬉しくなったり。(その気迫のサッカーを前半無失点に抑えた日本もすごかったと思いますし、試合中は勝つよう応援してましたよ~!)
彼らはサッカーを通じて平和を訴えた。
しょせんヨーロッパで恵まれた環境ににいる奴の言うことと思うこともできる。
でも、下手したら暗殺やバッシングの対象にもなりえる勇気ある行動。
韓国でフリーハグをした青年もそう。
ののしられたり、あからさまな敵意を感じたこともあったはずです。
でもやった。
そうすると、最初誰もハグしなかったのに、一人、また一人と増えていく笑顔の人の数。
そんなん見てたらばかばかしくて(笑)
人がもっててもまぁいっか。
羨ましいけどまぁいっか。
今持ってるものを大事に、
青い芝ばかり見ないで、
家族が元気で、住む場所があって、飢えていない。
心と体をズタズタにされるような心や体の暴力に怯える毎日じゃない。
どれほどたくさんの物を抱えているか。
もちろん波はあります。
子供に大声でどなり散らして後悔すること、人に迷惑をかけて後悔すること、嫌われてるなーって思って悩むこと、旦那さんに不満爆発して叫びたくなること、ありますよ(笑)
でも、「全部自分の小っちゃい自尊心から来てんだな」ってのがよーく身に染みてわかってから、その心の嵐に長期間巻き込まれるようなことはなくなりました。
しょせん自分の短い一生の事。
いつか死ぬその日まで、自分を幸せに出来るのは自分しかいないってこと。
まだまだ全然ダメダメですが・・・(笑)
死ぬまでゆらぎながら、迷いながら、受け入れながら、選びながら、考えながら、体が動かなくなっても他の形でヨガしながら、人に支えてもらいながら、出来れば支えながら、この世に受けた生を全うできたらいいな♪と思います。
私の大好きな本の一節のように死ねたら最高です♪
今日は死ぬのにもってこいの日だ。
生きているものすべてが、わたしと呼吸を合わせている。
全ての声が、わたしの中で合唱している。
すべての美が、わたしの目の中で休もうとしてやって来た。
あらゆる悪い考えは、わたしから立ち去っていった。
今日は死ぬのにもってこいの日だ。
わたしの土地は、わたしを静かに取り巻いている。
わたしの畑は、もう耕されることはない。
わたしの家は、笑い声に満ちている。
子どもたちは、うちに帰ってきた。
そう、今日は死ぬのにもってこいの日だ。
「今日は死ぬのにもってこいの日」より
ナンシー・ウッド著
金関寿夫訳
株式会社めるくまーる発行
1995/9/20 初版発行
