思考や感情、目の前の事象を
握りしめない、ほおっておく、手放す というのは
回転寿司のレーンに流れてくるお皿を、
取らずに、ただ眺めている、、、
というのと似ている。
それもこれも起きるんだけど、
自分のものにせず流す、忘れる。
役に立たないと意味がない(存在意義を欲している)場合、
どーしても“自分の手柄“”が必要だし、それとセットで、
自分を責める(価値があるないという判断による自己ジャッジ)というのも起きてくる。
それとこれは別々ではなくて、対(セット)
褒められたい⇆けなされたくない、否定されたくない
愛されたい⇆愛されない、わかってもらえない
このぎったんばっこんは
“自分”をやっている限りはしょうがない現象。
でも、それに一喜一憂している限りは消えないのだけど、
そうやって起きていることまるごと受容してしまうと
“自分”が消えてしまうという不思議。
対消滅=愛 のもとに消えてしまう。
愛されたい褒められたい限りは、
愛であることを思い出せないから。
わからない者はわかろうとするし、わかった者はわからない者をつくる。そういう限界を超えるのは、どちらでもないもの、愛でしかない。
それもこれも起きるんだけど、
それもこれも自分のものにしないとき、
ただただ愛でしかない。
完璧、全体、ひとつ。
ほんとうに、このことを、
ついつい、うっかり、忘れてしまっているだけ。
かんじるココロケア あまのこころ