10数年むちゅうになっているのは映画
とくに、語学は映画やカセットテープのセリフをまるおぼえして
なにをいっているのかわからず音を聞いて
まねをしたのがはじめで、
いつのまにか、まだ映画化やエンターテイメント化しているのをもう一度みると
なんのことかわかるようになりました
二人のカウンセラーがでてくるので
ますますひきつけられます。
その言葉をおかりしますと、
あなたがつらいのは、
「先天的なうつ病などの病気」だからではない
あなたがつらいのは、、原因があったり、
自分の過去をおもぐるしくかんじているからで
それで、
前回は
あなたはあのひとあのひとあのひとと
異性との出会いを期待しすぎないことっていうのがありました。
そのことばかりかんがえていると、
本来のいまここをたのしむことが
欠乏感になってしまうからです。
都会パリと田舎、
都会に住むわたしと、田舎の家族
わたしはこれからどういきたいのか
がみていて客観的にかんがえられます
今の状況では、そんなに簡単に行き来もできないでしょう。
特に既往症があればなおさら、
都会にいるということは、わたしはこれからどこにすみたいか
どういきたいのか
今現時点ではいろんなことをかんがえられるとおもいます・
そんな日本人のわたしたちが
このフランスの映画、
多数の中にひそんでいられる自由を取るか
田舎にすまわれてるひとにはごめんなのだけど
ご近所づきあいでつらい場合もいい場合もあるとおもうのですが、
適応しながらもいきていくのか、
過適応でくるしんだことがあるので、
わたしは距離をおくかもだけど、、
それからどうやって復活したかというと
こうしてほしいことはこうと具体的にいうことなんだとおもうのです。
で、そのとき結果をだすために
や
相手をコントロールするためや、
愛情を確かめるとか、
ゲームをしない
はからない
人の想いがこめられていることのほうが大切です。
素直にわたしはこうしたいのだけど、と
うかがうように丸腰でつたえるということです。
わたしは母にはずっとあえなくて
一緒にすんだのもずっとまえの何年も前の数日なので、会いたい
ところで、
おうかがいするように、たのむというのは
じぶんの武器をさしだすということ。
いらっとするかもしれませんが、
いらっとするということは
もうすでにじぶんは戦っていてまけているということなのです。
勝ち負けではなく、
ただじぶんのお願いや状況、気持ちをつたえること
これがとても大切なのです。
わたしも、
これをするようになってから、
だいぶ
ちからがぬけました。
親にはあえない、
住みたいところに住めない、
こまったひとはいる
いやなことはある、
でも
生きていることって
あたりまえではないという経験をしてきたからこそ
いえます。
なにかをてばなしたということでしょう。
ところで、
都会にいるから孤独なわけではないとおもうのです。
都会にいても、
お金がなかったとしても
人脈がすくなかったとしても
さびしくないひともいれば
さびしいひともいます。
田舎にいて
ひとづきあいがあんまりつらくてひきこもったり、病気になっちゃうほどのひともいれば
そのなかでもときどきネットで世界中のひととつながり、
たのしんでいるひともいます。
ただ、現実問題
睡眠、食事、住、人間関係 ねこや植物との関係、もしも自分の症状がだれにも
りかいされずにあまえている、てぬきをしている、とおもわれてしまっているとしたら、
自分の状態をつたえたらいいとおもいます。
たとえばですが、
洗濯乾燥機にいれると、
しわしわのワンピースができます。
だから、乾燥まえにとりだして干すのですが、
あんまりにもつかれて、
干すこともなく、梅雨なのに、
だしっぱなしだったことありませんか。
それは
てぬきでもなく、
てぬきも、あまえでもなく、
それほどつかれていること。
めろんくん、はよくしっていて、
わたしがつかれているのに夜中に書き物をしていると、
パソコンも携帯もぜんぶキーボードに乗っかって
ふたをしめてくれます
ネコはつかれるとすぐにかくれてねます。
とおもったら
よちよちとあまえたがります。
ねこをかったから、
自分のこうどうにきがつくことがあります。
めだかをかったらメロンクン、
めだかのおよぐのをみて
わくわくして
よろこぶんじゃないかと
ニマニマしてました。
まだ買ってませんが
ニマニマしながらたのしんでます。
