ハッピー恋愛カウンセラーココです。

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◆当日参加、途中参加okです。途中参加の方はご連絡ください。


お申込み詳細
はこちらをおしてね。

https://resast.jp/events/292542
ココちゃんの心が安心するお茶会がんばらないレッスン第四回 日本のなかのフランスを味わう


9月23日日曜日 二時から三時 場所
飯田橋駅とほ15分アンスティチュフランセ内本屋さんリブゴーシュ前で待ち合わせ

カウンセラーさんのための

 

”ココちゃんのこころが安心できる≧(´▽`)≦(*^▽^*)お茶会”がんばらないレッスン第4回
 

9月23日日曜日2時から3時ぐらいまで

待ち合わせ 

飯田橋駅徒歩15分


ラブラッセリーの中庭 アンスティチュフランセ内

 リブゴーシュという本屋さんでまちあわせです。



こんな方が対象です

・気がついていないけれどがんばりすぎるひと
・はずかしがりやさん
・おちゃめでさびしがりや
・カウンセラーとして活躍したい
 ・じぶんのやりたいことを極めるはじめの一歩にしたい。
・語学に関心がある、語学でたのしく交流したい。

男性もウエルカム
 
募集中
 
テーマ 頑張らないレッスン 日本のなかのフランスを味わう

2時から3時
 
 
テーマはがんばりすぎないレッスン。がんばりすぎになりやすいひとが
そんなに頑張らずにまわりのひととたよりながら、あなたのままでいいんだよ。
というふうに心が楽になるお茶会だよ。

お申込み詳細
はこちらをおしてね。

https://resast.jp/events/292542
ココちゃんの心が安心するお茶会がんばらないレッスン第四回 日本のなかのフランスを味わう




じぶんがなさけないとおもうことがある。

一生懸命パートナーとの仲をよくしようとして、

無理をしてお姑さんのいえにいき、

じぶんが手術入院してたいいんしたとき、一番寂しかったのは、シェルターから出てすむところがないまま体調がわるいまま、ひとりで子宮の手術で入院しにいき、ひとりで退院して、そのときもすむところもなければ、で、必死にひとりですむとこらさがして、

いまさらだけど。

花束とかほしかったな、って。

で、花束持って退院祝いにいくと、

こんなこわい子はとえんえんとお説教。

信じていようだんなことがあれというバカなわたしは、
責めにあい、いまは、子宮内出血がとまらなく、その止まらないものをどうなるかもわからない。
それも自己責任だといわると、やはり、おちこむ。

たしかにいかなきゃよかったのだ。
行きたくないわけでなく、ちょっと疲れているけれど、はなたばを退院祝いと敬老の日におくるとよろこばれるといったら、大目玉だったわけだ。

金曜日の夜中に、ひどい子宮の痛みがあったのに、土曜日にパニックになり、執刀医に診てもらうこともまにあわず。結局これからいつまで子宮内出血がつづくか、で、わたし自身のからだがいつまでもつかもとても不安なのだ。子宮内膜症は、その手術のあとからまた、本格的治療で再発を防ぐ。もくてきは、ガンにしんこうしていかないことで、日常生活がそれでもらくにいきていけることであり、
子供が欲しいとかは、べつのはなし。
こどもは、ほとんど、いや0.00001ぱーせんとのかくりつぐらいでてばなした。
いまは、こどもうんぬんでなく、離れていたパートナーとなにがあってじぶんはどうその自分の課題をこなすか、そこについて、えんえんと暗い話を書いている。


だからよみたくないひとはわざわざよまなくていい。

わたしは、はじめから、恋愛スクールで1人に執着するのでなく、いろんなひととしりあい、ここらを分散することをしなかった。

なぜかというと、人間不信になり、
ひとを信用する、良い方を見ていくわたしの考え方が、ただの自己満足だったのではないか、実際には
乱暴で、ブスでデブで小汚い格好であれ、みかけはどうであれ、しあわせなひとはたくさんいる。

律儀に誠実にまじめに相手に向き合おうとしていたわたしの価値観こそが自分を苦しめていたとわかり、

ついすうにちまえから、おバカさんになっている。



こんなことなら、嫌なことをがまんしすぎて、からだをこわすなら、してはいけないと、何度身体がおしえてきてくれて、なのに、じぶんをまもらりきれない。

いつになっても、ひとを良い方に良い方に信じて、なにがあっても。まだ、しんじる大バカもの。


そう言ってくれるまわりのあたたかさにも、またはんぱつして、パートナーとの復縁の可能性や
ことばでたたかれることについても、

じぶんのおちどとか、話すタイミングとか、ことばのあとにすぐ自分のいけんをいうこととか、
そこに改善点があったのだろうかと、

いろいろ試行錯誤して、

それでもうまくいかなくて、

つきあってくるしんできたり


お寺でも、言葉の暴力や、合わないのにもうやめなと、いわれてきたのに、

まだ、あいてがわたしにしてきてくれた良い方のことをおもいだして、あいてをしんじようとする。

そして、体調が悪く、たすけてといってもつきはなされて、日常で頼れるところがお寺しかなくて、お寺にお世話になるほどだったわたしのこと。

わたしは、そういう周りの人たちの優しさをうけとりながら、また、

嫌な気持ちをあじわっている。



かってにシェルターににげたと、やさしくない、と

わたしをかれはせめた。でも、シェルターにいくほど、大変な状況だったのだ。家にいない。手術を控えていて、大量の出血で、ごはんが作れないし、コンビニの弁当でアレルギーをだす。

栄養失調で病院にいったけど、
どなられたり、

たしかに、わたしがほしがってたものを買ってくれたりして、病院にいけなくて、パニックになり、駅まできてくれた。まえの家に2人ですごしてみて、一緒に料理を作ったりそうじしたりだけど、それは、ホンネをいわずに、しつもんもしないで、なにもわかってない。

ついに、コバさんのブログをこえをだしてよんでみて、二週間ぐらい、ゆっくりしましょうよ、と、コバさんのブログにかいてあることをつたえた。

どんなに社会的地位が高くても、徹夜徹夜つづきで、仕事もしょっちゅう海外で、いつ家族をつくるの?いつわたしと時間をつくるの?まさか、ハネムーンも挙式もなく、わたしと過ごす時間も、一年に一回でいいなんてこと?じっさいそうだったからだ。

これが、長年夫婦なら、おたがいといるのがうざったくて、別々で気楽というひともいるかもしれないが、わたしは再婚して数年しかたたず、はじめのときから、目を疑うようなひどいことばの連発だった。

音にしょうがいのあるわたしには、ダイソンのそうじきは、歯医者の音にしか聞こえないし、
両手を腱鞘炎になって、もし重いもの持つなら手がほんとにうごかなくなりますよ、といわれている。すべて、治療薬で、腱鞘炎になりやすいからだになってるからだからだけど。

ダイソンはだんせいはすきかも、でもじょせいからいうと、歯医者のようなとくゆうのキーという音や、充電した後の着脱の仕方、つかあかたにいたって、おしえてもらわないとわからない。

ちいさいのにものすごい重い。軽い掃除機にしてほしいと、たとえばこれといっても、


まだあるといって、わたしが日常の音や光や人ごみによわいことをいつになってできないことを
まったく、なかったかのように好きなものを買ってわてしにつかうようにいう。つかえないものをわたされて、これたかくていいものでみんながほしがってるのに、というけど、

わたしはそれはいや。使えない高い掃除機をもたされぐらいなら、

静音のなんともないかるい掃除機がほしい。それがしょうがいうんぬんでなく、わたしの希望だ。
勝手に決めて勝手にこないで買う前に行って欲しいというけれど、

そんなことは関係なくものがどんどんいえにおくりこまれてくる。

それがわたしにとってもつかえるならいいけれど、たとえばガラス食器。騒音やせかされたり、怖いことばで怒鳴られると
落としやすいわたしは、足の裏にガラスがささり、がらすがささったまま、あしのうらが、ガラスできらきらして、ホラーみたいなあしをしている。

体調が悪いからという理由でなにかをことわるとき、体調がわるいはほんとは違う理由だと、わたしはおもった。

わたしがしりたいのはホンネで、

重たい、いろいろ日常でこまってるわたしのことを。そしてあいてのこまってることをおぎなっていくひとが理想のパートナーだとおもう。

自分さえ良ければの考えには、賛同できない。

障害があるから不幸せなんじゃないよ。にがてなことを補い合うパートナーとふたりでなにかをきづいてたのしくいきたい。

それが自分のねがいだけど、

仲良くしようとは思わないとはじめからいわれると、

独身生活をとられた、といわれると、

開いた口がふさがらない。



え?とおもう。そのまえに、仲良くしようと頑張っていた話をわたしが力説したのかもしれないけど。

じゃあどうやって、お互い愛情を注いでいくのか不思議だ。

わたしにはわからない。

ぜんぜん、わからない。

独身のきもちのまま結婚して
相手からプロポーズしておき、それでも、わたしのせいにするのはなざなのか、まったくりかいできない。


結婚式も罰としてしない。ハネムーンなんて、まったくいみなし。

と、かれはきめつけて、

わたしのきもちは?というと


嬉しいわけない。


したければらひとりでしたら、といわれて、

なんて失礼なひとだと


わたしはおもった。

どんな気持ちで再婚したのか、

なにもかもてばなして一文無しになって、

それでも、

ひとりでいたい人の気持ちも、

使わない家を借りて、ダンボールの山にして、

わたしが住めないといっても、知らんぷりの人の気持ちがまったく理解こえる。

いまはもうあきらめて、

そうやって、ぶくぶくにあまやかされて、自宅生をやめない夫に

なんでこんなひととこんなみじめな人生をあやむことになったか、

これからにもかかわることだから、

これからどうしたらいいか、本気で考える、


こどもだけうんで、あいてはいらないひとのきもちもわからない。

夫がすきだから、子供が欲しいのではないかと、

自然にそうおもう。

子供が欲しいは、うそだ。とおもう。

子供はいらないも、うそだ、とおもう。

まえは、そうか。でおわり、

なら、とけつだんしていたけれど、

そのうらにホンネがかくれている。

それがしりたい。