ごきげんよう。

 

愛をみつける場所

クイーンズアカデミー

  

黒谷マリアです。

 

 

 

今日は、

愛を求める人をそこら中で

悩ませている、

 

「他人に満たしてもらおうとするのは

いいのか、悪いのか問題」

 

について。

 

 

黒谷塾の内容まとめてて

このトピックについて

とりあえずの考えを

だーっと書いてたら

 

我ながら

 

なっが!!!!!!

 

 

とドン引きましたので、

この労力を自らにねぎらうため、

公開します(供養

 

 

読んでくださる方には、

人に見せるために

書いたものじゃないので

そのつもりで

ご容赦いただきたいのと

 

とりあえずこの物量に

引いてもらえたら

幸いです(目的おかしい

 

 

にしても、

うちのメンバーはいつも

たった1つのトピックでさえ

この勢いの御託を、

4時間ノンストップで

聞いてくれてると思うと

 

 

まじ、合掌www

ありがとうが止まらないw

 

 

 

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■ 他人に満たしてもらおうとするのは間違いだ、という考えについて


・真実ではない(と、私は考える

・自己完結、自給自足で生きることは 人間の本分ではない

・自己完結論は、他人と自己が別の存在だという前提

・他人と自己は一体 

・故に、他人に求めることは、自己に求めるに等しく、なんら間違っていない

・してもらう、喜びはある(安心、自己重要感のニーズ) 望み、満たそうとして、当然 

・自分ではまかなうことが出来ないニーズが与えられている

 

 

■ ではなぜ、他人に求めることが問題になるのか

・他人に満たしてもらいたいとする時に、そこに分離があるかどうかが分岐点

 

 

■ 自分と他人が一体であるという感覚(信頼、安心感)がある場合(一体)

・他人に満たしてもらうことによる満足を求めることは、自分が自分にそれを望むのと同じ

・自分の部屋にあるリモコンをとってもらう感じ

・取ってもらえなかったらリモコンがなくなる!家がなくなる!とは思わない


・その物事がどうなろうが、自分は損なわれないと 理解している 

・望んだものが得られないのは、自分の価値とは関係がない 相手の都合だと理解している

・相手にも、自分にも、
 他者の期待に応えられない、応えたくない時はあることを受け入れている

・他人に求めること、与えてもらうこと、その逆も、当たり前だと考えており、疑念がない


・ゆえに、こういった人が他人に自分ではまかなえないものを求める時は、信頼がベース

・もらえようが、もらえまいが、いずれにせよ、あなたも私もOKですよ

・その上で、単純に、リモコン取って欲しいからとってくれない?という感じ

 

 

■ 自分と他人が一体であるという感覚(信頼、安心感)がない場合(分離)

・他人に満たしてもらうことによる満足を求める時に、

・与えてもらえなければ、自己が消滅してしまうような、得体の知れない恐怖感が発生する

・その恐怖ゆえに、相手がそれを与えてくれるか否かに強烈に反応する


・自分の望んだものを与えてくれることだけが、愛だと認識できる(紐づいている)ため、

・リモコンや諸々を受け取れるかどうかで、自分の安心感が大きく揺り動かされる

・で、必死でリモコンを集めようとするが、
 根本的に家(信頼、安心感)がないから永遠に落ち着かない

・ホームレスのおっちゃんが、大量の荷物持って歩いているあの感じ ゴミ屋敷の人とか

・望みに応えてもらい続ける(確認し続ける)以外に、自己を維持する方法がない

 

■ だが実際は、

・安心感がある人もない人も等しく、他人と一体であり愛を注がれている。

・安心感とは、この事実を受け入れているか、いないかの違いだけ。
 (実際は2択ではない、度合いの違い

・他人から与えてもらうに値する存在かどうかに疑念を抱いているのは、本人だけ 

・この疑念が分離

 

■ で、疑念を握ったままの人は、

・他人に求める度に「もらえないかも」という恐れを感じる

・それは結果、もらえて安心した場合も同じ。
 欲しいと思う度に「もらえないかも」という恐怖を感じている。

・この「感じる」が実は真の目的

 

 

▷「感じる」について

・人は、自分が自分の意志で行動を起こしていると信じているが

・実際は、無意識下にある信念と、
 それにそって起きる感情(フィーリング)を感じる(それで在る)ために

 無意識に行動を選択している(それが自我の望む安心だから)
 

・たとえば、愛は求めなければもらえないものだ、という信念を抱いている人が、
 その信念と共に“愛を求めて揺さぶられる感じ”を保存していたとしたら、
 その人はその“求めて揺さぶられる感じ”を再現し続けられる様な行動を選択する。

  (愛という概念と不安感が、セットで保存さえている)


・求めた結果(得られたか否か)が本質的な欲求(目的)ではない。

・目的は、信念をより深め、
 それに付随する体験(フィーリング)を集める(感じる、自己実現、在る)こと。

 

▷よって、

・例えば分離を感じており、他人に応えてもらえないことに強い恐怖がある人が、
 他人に満たしてもらうことを望んだ場合も

・実際的に、本人が目的としているのは、
 満たしてもらうことではなく、それに付随する恐怖感を感じること(再現)であり、

・それによって、自分の信念(分離)を裏付けようという、自己実現の働きである。

 

▷つまり、現実は関係ない

・応えてもらえても、もらえなくても、自我が再現し続けたいものが不安であれば

・その人は延々と不安を感じ続ける

 

▷だ・か・ら、
・結果(リモコン)をどんなに集めても、

  そもそもの信念をどうにかしないことには、永遠に安心することは出来ない

 

▷また仮に、

・ずっとリモコンを取ってくれる人がいたとしても、

・応えてもらえたことによる安心感を得ているだけで、

 それはつまり「条件付きの安心」に過ぎず(〜してもらえたら○、〜してもらえなければ×)

・結果、無意識下にある「応えてもらえない恐怖」は握りしめたままであり、

・根本解決にはならない。
 

・そして、与えている側も、
 その人を「応えてあげないと大変なことになる人」として見ているため、

・結局、本人の信念と恐怖の裏付けに加担しているに過ぎず、(そしてそれは愛にあらず)

・継続出来たとしても、徒花的な不健全な関係と言わざるを得ない

 

▷つまり「感じる」をまとめると

・人の望みの本質的な目的は、無意識下の信念に沿ったフィーリングを再現し続けること

・信念とは自我のアイデンティティ「私は○○です」「I am ○○」

・存在とはフィーリング そうで在る こと

・よって仮に「自分とは無価値である」「I am無価値」という信念を持っていれば

・信念(Iam無価値)に沿ったフィーリング(例えば不安などの痛み)を感じ続けることが、
 自己証明となる

 

 

■ そして話を戻すと、

・大前提として、他人に満たしてもらうことは、求めていい それが人間

・だが求めることが、痛みの再現を目的としている場合

・得られる結果は望み通り、痛みの再現であり、

・目的(信念)自体を変えない限り、
 結果(現実)の如何に関わらず、痛みの無限再現地獄となる

・だから、分離にある人が、満たしてもらおうとすることは、
 喉が乾いたからと海水を飲むに等しく、

・それを回避させようとする人からは
 「他人に満たしてもらおうとするなかれ」という言葉が出る

 

■ ところが

・ほとんどの場合、不安を基盤にしている人こそ、他人からの支えを必要(渇望)としており

・彼女たちに対して「先に安心してから求めろ」というのは

・骨折している人が「まず自分で立ってから病院に来い」と言われるに等しく 
 言われた本人が感じるのは絶望

 

▷他人からもらえなければ無価値である、という信念に対して、

・他人にもらえなくても価値がある、という信念は

・二元的認識のために鍛えられた脳には、相反する信念のように解釈される

・だが実際はこれらは全く別の話をしている

 

▷他人からもらえなければ無価値である、は

 「他人からもらえるか否か」を軸にした dead or arrive

・他人にもらえなくても価値がある、は「他人からもらえるか」という軸自体がないという話

 

・「他人からもらえる」は「髪が長い」「猫を飼っている」等と並列

・「他人からもらえなければ無価値である」は
 「猫を飼っていなければ無価値である」と恐れるに等しい

・「他人にもらえなくても価値がある」は

  他人にもらえても、もらえなくても、自分の価値(安心)とは関係ないことを説く言葉

 

▷が、ここでさらに誤解を生んでいるのが

・価値の判断軸としての「他人からもらえるか」と「猫を飼ってるか」は並列だが

・「他人によって満たされたい」という望みは人のニーズ(必要な要素)であり、

 「猫飼ってるか」と並列ではない ということ

・だが言葉上、混同されて「他人に求めるのは未熟」みたいな自己完結論になる

・が、それは誤り(だと思う

・他者を必要としないなら、そもそも生まれないし(分離)生きない(一体)

・他者自体が投影で実際は一体だから、

 自己完結論は、望んでも与えられないという世界への不信(分離)に根差した発想

 (求めなければ傷つかない的な)だと考える

・求める、は欠乏に根ざすエネルギーだと捉えられるが、真の求めるは在ると同じ(多分

・とにかく

・何かを判断する基準としての「他人から与えられること」はさしたる意味はないが

・ニーズとしての「他人によって与えられること」はある し 認めて良い

・全く別の話なので、留意したい
 

▷ということで、話を戻すと

・他人との分離(与えてもらえるかに安心が依存する)を信じている人は、その背景から

・他人からもらえる、という現象にこだわっているのであり、

・つまり彼女らは実際のところ、価値だとか愛だとかはどうでもいい
 

・骨折した人は、今すぐこの痛みを取り除いてくれる人を求めているのであり、

・いくらそれが根本治療になるとはいえ、
 折れたまんまの足で歩いてみろ、などというアドバイスは

 例えそれが真理であろうとも全く欲してない
 

・彼女らが欲しいのは、根本解決ではなく、今、自分を満たしてくれる現実

・だが、先にも述べたように、例え現実がそれに応え続けたとしても

・根底にある本人の恐怖が解消したわけではないので、

 満たし続けなければならない条件付きの安心(つまり不安)は永遠に続く

 

・つまり骨折した人は、すぐに効く何かを求めるが

・それを得るとさらに痛みが増す、というジレンマに陥っている

 

▷ということで、再度まとめると

・他人に求めていい 

・でもそれが不安を埋める(=痛みの再現)が目的だと、
 本質的にうまくは(安心には)いかない
 

・他人に求めていい、という事実と、
 他人に求めるなかれ、というアドバイスは、全く違う次元の話
 

・前者は、繋がりを信じているからこそ他者へ求めており、繋がりの確認。信頼を深める行為

・後者は、繋がっていないと信じているからこそ、求める繋がりであり、分離の証明。
 不信を深める行為

・出来事×信頼=安心  と  出来事×不信感=不安 

 

■ ということで

・他人に求めて良いかどうか問題は

・他人には求めて良い

・だが本人が何を目的としているかによって、得られるものは変わる  が基本的な結論



…続く

 

 

 

え、結論出たんちゃうん?!


 

わかる。同感。

でも続く。

 

 

それが黒谷クオリティ(合掌

 

 

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