先週の聖書のおはなしは、まだお正月モードでしたけども、今週からは、通常モードに戻します。
実は、この場を借りて、皆さんに伝えんなんことが、あるんですけどもね・・・。
一昨年・2024年までの内容記事を、新年を迎えたんを機に、一旦、削除さしてもらいました。
そうして整理した上で、今までに書き溜めてきた記事を修正しつつ、綴っていこかなと思てまして。
それで、ちょっとでも皆さんに解りやすいメッセージが届けられたらと考えてますんで。
どうぞ宜しゅうお願い致します。
千寿のお祈りエピソード
クリスチャン一人ひとりにとって、お祈りする行為いうんは日常茶飯事です。
まぁ、クリスチャンやない方々でも、自然に祈るってことをされとる方も在るんでしょうけどね。
ただ、そのお祈りする相手が何方かっていうんは、お一人おひとり違うやろと思いますけども。
でも、実際、クリスチャンはね。
ただ一人の・・・そう。唯一まことの神様だけに、お祈りしとんです。
実際、して当たり前のもんやし、また、人の呼吸と同じぐらい大事なもんやって言うんやんね。
でも、私・・・。恥ずかしながら、祈ることを忘れてしまう時が、ようあるんですよ。
うちの教会では、去年の春から、牧師先生御夫妻・信徒それぞれで実行する約束事が出来て・・・。
それは、『夜9時の一斉祈祷』。
去年の12月には『断食リレー祈祷』をしましたけどね〔12月恒例!断食リレーを御覧ください〕。
夜9時んなったら、それぞれが自分の置かれた場所で、心を鎮めて祈る時を持つんです。
でも、この『夜9時の一斉祈祷』でも、断食リレー祈祷ん時と同じように、
週報に載っとる課題について祈ったり、一日の黙想・感謝の祈りをしたりと様々なんやけんね。
ただ、私自身、プロフィールでも綴っとるように、父の介護に手が掛かるようになってきて。
お祈りせなアカンって解っとっても、つい疲れて寝てしまう事も、あったりする。
そやで、神様に叱られるわ思て「ごめんなさい。寝てしもて」って、翌朝に祈ったりして。🫵🏼😓
こんなんやで・・・私って、ほんま、ぽんこつクリスチャンなんですわ。はい。
祈りを聴いてくださる神様
実は、お祈りってね。
教会ん中でしか出来んもんやなしに、何時でも何処でも、気にせんと出来るもんなんですよ。
お祈り・・・いうんは、まさに、神様にお話しすることでして。
皆さんも、心が知れた人には、いろいろと親しく話し合ったりされてるでしょうね。
ただ、自分の心が疲れとる時に『ねえねえ~。ちょっと~。○○さ~ん』なんて話しかけられると、
『今は、取り込んでて疲れてて、それどころじゃないの。ちょっと待ってよ』って、なりませんか。
でも、神様はね・・・感謝なことに、『ちょっと待ってよ』とは、決して言われへんのですよ。
自分の親とか友達に気兼ねなく話すように、クリスチャンは、何でも神様に話しかけとんやんね。
ただね、こんな面白いエピソードもあるらしいんですわ。
2009年3月に天に召されたクリスチャンの落語家・露の五郎兵衛師匠は・・・、
神様のことを、天のおとうさまって呼ぶんが恥ずかしかったんやって。
「そんな『天のおとうさま』なんて。少女小説みたいなこと言えるかい」言うて(笑)。
でも、その“天のおとうさま”って呼べる神様に、何でも言う事が出来る恵みが与えられるんです。
大変な中に置かれとっても、何とか毎日の生活が営めること。
大事な家族・友達・気の合う仲間が、自分の傍に与えられてるいうこと。
嬉しいこと、悲しいこと、楽しいこと、苦しいこと・・・何でも、そのままを神様に話す。
それが、祈りっていうもんなんやないかなって思うんです。
起きる時も寝る時も、仕事する時も、どんな時でも祈れる。
こんな素晴らしいチャンス・・・実際に生かさん手は、ないですよね。
聖書から見てみよう
最初に、旧約聖書・詩篇4編3節を見てみましょか、こう記されてますよ。
また、祈ることは、全てを御存知であられる神様に対する信頼によって、出来ることなんですよ。
新約聖書・へブル人への手紙第4章16節には、こう記されてます。
また、神様は、近づきやすいお方です。 旧約聖書・詩篇65編2~3節には、こうあります。
また、神様は、私らぁ一人ひとりの祈りの求めに、きちんと応えてくださるお方でもあるんですよ。
ただ、神様が「これは、聴くべき祈りじゃない。」とか「この祈りは相応しくない」と思われると、
さっきのように『ここは暫く待ちなさい』と、御自身の御心を示されることも有りますけどね。
でも、たとえ祈りが応えられるんに時間が必要やとしても、それで、すぐ諦めたらアカンのですよ。
祈りが応えられるためには「神様の時」いうもんがあって・・・
いちばん相応しい時が何時かっていうことを、考えてくださってるからやないかと思うんです。
やで、諦めずに祈り続けることが、何よりも大切なんですよ。
お祈りは、自動販売機とかガチャガチャみたいに、すぐ叶う魔法ではありません。
新約聖書・マタイの福音書6章5~8節では、こう記されてます。
ね。この箇所を読んでみると、ようお分かり頂けるんやないかと思うんですよ。
人に見せびらかすために祈るんやのうて・・・、
奥まった場所で、また、静かに落ち着けるような環境で祈ることが大事なんやってことが。
上手に祈らなアカンのやって思ったり、格好つけたり、見栄を張ったりする必要も無いんですよ。
そのことを、ちょっとでも感じて頂ければ幸いです。
今週の祈り
天のおとうさま。お名前を賛美いたします。
お正月気分から、徐々に通常モードに切り替えていってますが、まだまだ心と身体が慣れていない。
そういう方も居られるでしょうか。
今朝は、祈ることの大切さについて、共に考える時を持たせて頂き、感謝いたします。
祈りには、何の遠慮も見栄も必要ないという事を、御言葉からも教えて頂きました。
本当に、ありがとうございます。
新しい週も、あなた様御自身に心を向けて、自分のことだけでなく、他の人のことも顧みる。
そのような者で在らせてくださいますように。
イエス様のお名前によって、お祈りいたします。アーメン。











