個性として、欠如する高校の生物の授業で習った事。受精卵がその生物の形を成すその過程はまさに欠如の過程成長した胚の一部が壊死して指になる。一部が壊死して足になる。一部が壊死して顔になる。一部が壊死して首になる。あらゆる箇所を棄てて「個」となるのだ。そう考えると、できないこと。分からないこと。やりたくないこと。そういった「欠如」こそが「個の証」とは呼べないだろうか?