不登校の親の私というものは、
なかなか達観できず、
回りを見て落ち込み、
自分のふがいなさに落ち込み、
どうしようもないものに、もがき苦しみ、
どうにかならないか?と空回りしたり、
たまに、なんとなくうまくいって喜んだり。
落ち着くようにしていても落ち着かず、
イライラしては、落ち込んでと、忙しい。
潜在意識を変えようと努力したり、
共感と傾聴を学んだり。
不登校が治すために、いろいろ頑張ってきた。
そのときは、最高の出会いと思っていたけれど、
今思えば、両方とも最悪だったなって思う。
とはいえ、
人間、一人として同じ人はいない。
私が最悪だと思っていても、
最高の出会いで、人生が変わった人もいるだろう。
ただ、感想を素直に今言えば、
最悪だったな。
0か100思考っていつ植えつけられるのかわかんないだけど、
日本人ってこの傾向が強いのかもしれないな。
私もそう。
一度、これがいいって思うと、
回りが見えなくなって(笑)
今やっと。
答えは一つじゃないんだなって思う。
その時の私の状況とか、
周りの環境とか、
年齢とか、
仕事とか、
病気とか、
環境が変われば、そのとき、いいものは違う。
以前、良いと思っていたものが、色あせるなんてよくあることだし。
でもねー、今はそう思うけど、
不登校の真っただ中のときは、そう思えなくて。
6月のバセドウのアイトソープの治療を受けて
学校をきちんとあきらめてから、
回りが勝手に動き出した。
勉強も、学校も、子供の人間関係も、
もう、私が、やるのはやめた。
ここで、こういうのを読んで、
私はやめられない、とか。
私は、まだやる、とか。
なにもわからない、とか。
不登校対応は、親も子供も違うから、
何がいいかはわからない。
誰かの真似しても、よくならない。
もしかしたら、手を引っ張って、学校に連れていくことで復活する子もいるだろうし。
そういう子の親は、きっと、あそこは無理させて良かった、甘えさせなくてよかったっていうだろうし。
あれもやったけど、失敗。これもやったけど、失敗。失敗し続けても、なおチャレンジする親もいる。
そうやって、復活した親は、色々やったほうがいいっていうだろうし。
自宅でのんびりさせて、本人が動き出すまで待てばいいんだよっていう親はもいる。
何も気にならない、子供に任せればいいんだよっていう親は、そういうだろうし。
寄り添って、見守って、傾聴して、子供が心を開きだした親もいる。
そういう親は、聞いてあげて、話をして、雑談が大事っていうだろう。
不登校支援に任せて、学校や社会に巣立ってた人は、
専門家に任せるのが一番だよって、いざとなったら、親よりもプロだよっていう親もいるし。
一つ言えるのは、
何をやっても正解で、何をやっても不正解。
子供も親も何一つ一緒なことはなくて
考え方も、心の動きも、生活環境も、生育環境も違うわけで。
比べて、比較できるものは何一つないってこと。
私たちがやってることは、何一つ間違いではないってこと。
がんばってることも、がんばってないことも。
みんな、違うんだよ。
みんな、同じ人なんていないんだよ。
なのに、比べちゃうんだよ。
もう、それも、仕方ない、人間だもの。
隣の芝生は青いっていうことわざがあるくらいだから、
大昔の人から、なんにも私たちは変わってないのかも。
ただ、昔よりは不登校が生きやすい世の中にはなってきたことかな。
たぶん、一昔前なだけで、ずいぶん、違っただろうから。
それが良いことなのか、悪いことなのかは答えはなくて。
見方によっては、答えは違って。
正論はお互いにあって。
ただ、一般のレールから外れるのは、
受け入れがたいものってのは、ルールを守る人間であって。
うーん。
何が言いたいかわからなくなってきたけれど、
何をやっても間違いじゃないし、
何をやらなくても間違いじゃないし。
幸も不幸もない、みたいに。
小林正観さんに行きつくのかもしれない。
夜間参拝・・・・気づいたときに申し込むんだった。。。これは、後悔。。。
もう少し後に・・・と思っていたら、もう受付終了!
うーん。
不登校ならではのご縁を書きたかったのに。
自分物語になってしまう、このブログ。。。
明日、また、書こう。
読んでいただき、ありがとうございましたっ♪