先日の種子島からのロケット「こうのとり5号機」打ち上げ、宮崎では南の空に確認する事が出来ました。最初はほぼ真上に向かってオレンジ色の炎が真っ直ぐに伸びました。
















この写真の方が実際の色に近いです。

暫くするとだんだん横向きになり、数分後には星と変わらぬぐらいの明かりになりましたが、切り離しも確認できました。

動画で撮れば良かったと後悔。
偶然にも、流れ星2つも見られるオマケ付きでした。まぁ、この辺りでは流れ星は毎晩のように出合えるのですが。

遥か宇宙まで飛んで行くロケットにエールを送りました。

それにしても我が町の夜景の寂しさよ!
でも、電気が少ないからこそ星空が美しく観られるのですが。こんな少ない灯りの為に川内原発が再稼働だなんて全く理解できません。この数年間で、原発が無くても十分に暮らせるのだと多くの日本国民が気付いてしまっているんですけれどね。



















庭に勝手に生えた木。まるでいちじくのような実をたくさん生らせています。結構、高い位置に生っているので、手をいっぱいに伸ばして撮りました。
このいちじく風の実、食べられませんが小振りで可愛いですよね。最終的には巨峰のように黒く色付き、鳥のデザートになり、そちこちにまた新たな命を芽吹かせるワケです。
実を潰すとミルクのような白い汁が出るので、「ミルクの木」と呼んでいますが、正式名は知りません。割りとよく見掛ける木なのですが。
















こちらは正真正銘のいちじくで作ったジャム。黒糖を効かせて琺瑯鍋でコトコト。仕上げには前回記事でも書いたグリーンレモンを搾り入れました。
唸る美味しさ!
先日のハワイのお土産のお返しに、バレエのおばちゃんに送ったら、「今まで食べたあらゆるジャムの中で一番美味しい!」と大騒ぎでした。

















まあまあ吹き荒れた台風、へんこちゃんを玄関に入れて避難させようかと思いましたが、ちゃんと風雨の強さや風向きを見ながら犬小屋の中→玄関前の特設ふわふわバスタオル台→いつものお坊さん座布団と、上手に凌いでいました。写真は特設ふわふわバスタオル台にて。座布団ほどではないけれど気に入ったようで、バスタオルを揉み揉みして喜んでいました。
巨大過ぎ&分厚過ぎでしまい込んでいたバスタオル、日の目を浴びて良かったです。



















6月初旬のこと、popさんの同級生が亡くなりました。家も歩いて15分程の所にあり、popさんとは毎日のように遊んでいた幼馴染み、高校の合格発表も一緒に見に行った大親友でした。誕生日も僅か2日違いの2人。




彼はこのブログにも何度か登場していますが、フランスから宮崎に帰郷後、一番に会いに行ったのも彼でした。リーダーシップ的存在の彼は、すぐに同級生らに召集をかけ、popさんの帰郷と私の歓迎会を開いてくれました。由緒ある彼の大きな家にたくさんのお寿司やご馳走、大勢の人を集めてくれたものです。
熱い魂と共に童心も併せ持ち、クワガタ取りにもよく一緒に行ったのが懐かしいです。周りを纏めて引っ張る力を持っていて、行動力と人情味に溢れていました。小柄ながらハッキリとした顔立ちは、これぞ九州男児と言うその性格を反映しているようで、みんなから愛されました。

しかし、我が町を襲ったあの口蹄疫以降、豚舎を営んでいた彼の人生は荒廃して行きました。豚舎再建のいざこざで弟に経営権を半ば乗っ取られる形となり失職、家族は離散し、アルコールに溺れ、子供たちとも年に一度も会えるかどうかになって行きました。日雇い労働をしながら、アルコールに浸る日々。せっかく人一倍の能力と頑張りで月に4~50万も稼いでも、瞬く間にアルコールで失われました。飲んでワケがわからなくなっているのを良いことに、持っていたお金は騙し取られたり、スリ盗られたりが日常茶飯事。馬鹿が付くほど人がイイので、困っているからお金を貸してと言われるとすぐにポンと有り金すべてを渡してしまい、九分九厘は戻って来ない。
自宅には、どこまでが本当なのか確認のしようもない飲み屋やタクシーや代行の「ツケ」集金の人や手紙が続々。それでも「そんな料金、嘘でしょう」とも言えず、ご両親が頭をあちこちに下げては支払いしていました。町の人のみならず、友人たちからもアル中のクズ人間の烙印を押され、だんだんと関わりを避けるようになりました。
私たちもアルコール依存症治療の病院に何度も連れて行ったり、お金の被害を防ぐ為に出来るだけ飲み屋や町に出させないよう工夫していました。
でも、私たちも体力的・時間的に限界でした。日雇い労働の仕事は不規則なので昼夜を問わず我が家へやって来ると(常に酩酊状態にあったので、歩いて来られる距離の我が家は駆け込み寺でした)、2~3時間で済む筈は無く、半日は潰れる状態。私たちの仕事は家での仕事も多いので、たまりかねたpopさんが少し突っぱねるような厳しい言葉を伝えたところ、うちにヨロヨロと歩いてやって来る事は無くなりました。


日雇い労働の仕事も、山奥の過疎の村の道路工事で山に泊まり込みだったり、東北など県外での土木工事が多くなり、殆ど彼を見掛けなくなりました。携帯は持ってもすぐ無くすので番号が定まらず、連絡の取り様も無く、町の中心的存在だった彼の様子を知る人は居なくなりました。日雇い労働で相方をしてつるんでいた少し年下の男性が居ましたが、糖尿病で突如失明したそうで、ますます彼は一匹狼になっていたようです。
気付けば、最後に見たのがいつだったか思い出せない有り様です。








同級生の連絡網で「詳しいことはわからんが、家で亡くなっていたげな」と訃報を受けた時には、あれだけアルコールを飲んでいたのだから心臓発作か何かが起きて急死したのだと思い込んでいました。検死に出されるから葬儀は遅れるらしいと聞いても、自宅で死んでいたから検死が必要なのだと信じていました。それしか考えたくなかったのかもしれません。
数日後の夜、立て札を出すこともなく、ひっそりと葬儀場の奥の方に彼の名前が書かれているのが見えました。よほど注意して見ていない限り、彼の葬儀が行われていたとは気付かないようなやり方でした。その為、僅かに親戚の方が集まっている程度でした。
白い顔をしたお母さんが出迎え、
「いつもご迷惑お掛けして……本当にpopさんにはよくして貰ったのにこんな事になってすみません」
と、奥の小部屋へと案内して下さいました。
こう言う時に死因を聞くのは心苦しくもありましたが、popさんが
「何も知らんのですけど、どこか悪かったと?」
と訊ねると
「いや~、もう自分で……」
とおっしゃいました。
私たちは激しいショックを隠しながら、
「最後だから見てやって下さい」
とお母さんに言われるまま、遺体と対面しました。自殺と聞いたせいでしょうか、あまりにも苦しそうな顔をした彼がそこにいました。こちらまで苦しくなって目を背けると、ダメ息子でも異常なほどに彼を溺愛したお父さんが座っていました。私たちに困ったように笑いながら
「ありがとうね、pop君。俺もやるだけの事は全部やったと思って悔いは無いとやけど……ワケがわからんとよ」
とおっしゃいました。
彼とは一卵性親子のような強い結び付きのあったお父さん、まさか自宅で首を括っている息子の姿を発見するとは思っていなかったでしょう。
真っ赤に目を腫らしたお父さんに、あまり根掘り葉掘りも聞けませんでしたが、直近の状況からは原因が思い当たらない、ワケがわからんと繰り返していました。そして最後にポツリと
「pop君は体を大事にしないね(=しなさいの意)、この子の分まで……」と棺を見詰めていました。
疎遠になっていた彼の家族や子供たちは来ないかと思いましたが、ただ一人、間も無く成人する息子だけは姿を見せたのが救いでした。クールに振る舞っていても、手がガタガタと震えているのを見た時は堪りませんでしたが。










popさんとは身長も風貌も雰囲気も正反対、高校卒業後からの道も仕事も真逆の世界でした。にも関わらず、お互いに誰よりも信頼し合う友でした。
フランスに渡る際は東京からわざわざ彼の家を尋ね、フランスから宮崎へ帰って来る際は真っ先に国際電話で知らせたpopさん。その悲しみ、落ち込み様は計り知れない深いものでした。このままではpopさんが死んでしまうのではないかと危惧したほどで、私も非常にショックでパニックを再発しそうな程でしたが、努めて明るく振る舞い、日常を保つ事を心掛けました。そして、積極的に彼の死について話し合い、何とかして納得できる答えを2人で探しました。
それは、彼の死は自殺ではあるけれど、実際にはきっと病死のようなものだった……つまり、彼の意思で自殺を選んだのではなく、恐らくアルコール性の鬱が進行していたせいで、病気が勝手にそうさせたから病死、もしくは事故死とも言えるのではないかと言うものでした。これは私たち自身の納得とせめてもの慰めの為でもありますが、実際のところアルコール性の鬱の気は顕著にあったので、真実に近いのではないかと思います。
何度か連れて行ったアルコール依存症治療の専門病院では「アルコール性精神障害」と言われていましたが、彼が定期的に通院して鬱の治療などしている筈も無く、結果的に自殺にまで行き着いてしまったと考えると悔しいです。
しかし、同時に怒りも覚えます。迷路に迷い込んだかのような生きづらい人生だったでしょうが、何故もっと自分の体を大事にしてくれなかったのかと。

苦しそうな死に顔をしていた彼ですが、四十九日も済み、初盆も終え、苦しみから解き放たれている事を今はただ祈るばかりです。









本来ならば月末恒例お薦めクラシックのコーナーをお届けするのですが、今月はこうした事情から、生前に彼が愛した曲を捧げたいと思います。





◆シューマン:交響的練習曲 (P:マリア・グリンベルク)

https://www.youtube.com/watch?v=PXd68c_MNus



私が弾くピアノを何分でも何時間でも聴いていましたが、あまり軽快な楽しい曲は好みませんでした。
シューマンの交響的練習曲はとても気に入り、目を閉じて聴き入っていた姿が忘れられません。


マリア・グリンベルクの演奏、素晴らしいですね。
ユダヤ系であった為にロシアと戦争により弾圧を受け、活動を著しく制限されたので、あまり広く知られていない名ピアニストです。










◆ラフマニノフ:コレルリの主題による変奏曲 (P:ラサール・ベルマン)


パートⅠ
https://www.youtube.com/watch?v=AibT46te5-s



パートⅡ

https://www.youtube.com/watch?v=kQ5bdrEDgzE




ラフマニノフのコレルリの主題による変奏曲は私の大好きな曲なのですが、この曲は彼にとっては告解と懺悔の曲でした。
座禅をし、途中からは涙を流しながら
「ごめんなさい、ごめんなさい」
と呟いていました。彼を追い詰めてツラい
気持ちにしているのだろうかと思い、明るい曲を弾くと、あまり耳を傾けていませんでした。


彼のアルコール依存症治療を機に、そうした患者さんの為にボランティアで何度か演奏しましたが、これはどの人にも当てはまる傾向だと感じました。音楽療法を正式に勉強した事はありませんが、闇を抱えている人にとっては、明るい世界は眩しく苦しいものなのかもしれません。
暗闇に寄り添い、懺悔する場を求めているのでしょう。それはアルコールを断とうと苦しんでいる彼らにとって、精神的アルコールとなり得るのかもしれません。















みんなが眉をひそめようと、彼は私たちの永遠の友です。


重たい長文にお付き合い頂きありがとうございました。