こんにちは。
今回は内容が濃かったのでメモ書きを書くだけでも大変です。むらまさです。
このテキスト「教育の基礎としての一般人間学」の講座は一度一通り終わっています。10年かかって。
今回は2順目。
かつ毎日読めば読むほど内容が受け取り方が変わってくるらしいです。
面白い。
他にも2冊計3冊。たの別冊も含めて章で言うと96章くらいあると教えてもらった気がしてます。
数字は不確かです。これを学校の設立前に2週間ほど先生たちに朝昼夜と講義していたシュタイナーはすごいですね。熱い。
シュタイナー学校、京都に作る動きはあったらしいです。しかしやめになったとの事。
シュタイナー学校の先生ならもっとうまく教えられる。シュタイナー学校以外ではどうしたらいいのなどの声に疑問が沸いたらしいです。
シュタイナーがよいのではなくて、日本の文化を認めていく側面が必要なのではないか、中世の中部ヨーロッパのものをそのまま持ってきても無理だ。
当時はどうしようもない教育現場、そこにできる限りのことをやっていくのが使命と燃えていらしたらしいです。
「シュタイナーを善としている香りには耐えられない」
シュタイナー学校でなく、新しい学校を創っていくのならばいいですね。であるならばあえて
シュタイナーを看板に掲げなくてもよいのでは。認識を深める場として、一人ひとりが行為をしていくのが人智学運動というのに変わった。
子ども達が生活する場がシュタイナーが望んでいるのかどうかもわからないですし、学校の比較が入らないほうがいいですね。あの学校はよくてこっちは悪い。あの先生は悪くて、こっちの先生はよいとか。
あの先生は悪い、だから向き合って話していくというのならいいですね。比較はよくない。
極端な発信はよくないです。死なしながら思想形成はしっかり、行為をするときはのんびり、しかしここというところは譲れないというのは素敵です。
シュタイナーの勉強をすると心が澄んでしまう人が多いですがもっと行為を通して伝える人もあってはいいのでは。
園長先生は娑婆での実践者です。
次回はだい2講のまとめを少し。