猪口スタイル~幼少期~ ←この記事
自己プロデュースコースの宿題、ストーリープロフィールです。
私ごとで恐縮ですが、長い長い私の歴史(笑)を、思い出しつつ綴ってみようと思います。
昭和38年6月28日。←藤原紀香さんと同じ誕生日![]()
厳格で仕事一筋の父と、明るい母の長女として佐賀県に生まれました。
記憶は3歳くらい。
3つ違いの弟が生まれたときからスタートします。
病院のベッド。母が寝ています。その横で父が「名前何にしようか?」
母が「◎◎にしましょう」と言うと、「そうだね。それがいい」
そういうと、父はベッドの端に手をかけたまま、うれしそうにピョンピョン、飛び跳ねていました。
思い出すその映像が白黒なのが笑えます。やっぱ、昭和だ![]()
父にとっては待望の男の子。これはあとで聞いたのですが、私が生まれたとき、
父は「なんだ~女か」とつぶやいたのだそうです。
私は、長女ということもあってか、すごく厳しくしつけられました。
こどもの頃からクリスマスプレゼントは「本」
りかちゃん人形も、ぬいぐるみも買ってもらったことはありません。
外遊びの時は、身体に傷をつけてはいけないからと、バレーボールの時に、膝につけるサポーターを
つけて遊ばされました。
姿勢が悪いと、背中に尺(長いものさし)を入れられました。
母はピアノやバレエを習わせたかったのですが、父はそんなものは何の役にもたたんと、
習い事は「お習字」と「そろばん」でした。
お洋服も、フリフリピンクが着たかったのに、白のブラウスにチェックのスカート、
制服のような洋服を着せられてました(笑)
すごく幼い頃から文字を読み出し、言葉もしっかりしていたそうで、
幼稚園の時から、運動会では鼓笛隊の先頭、劇のときは主役。
卒園時の代表で卒園式に答辞を読む。
今でも覚えているんだけど、巻き紙に筆で書かれている文字を読まされたのですが、
母はそれを大人が読むように遠慮なく漢字を使って書いてください。
この子には、それを読ませます。
と園長先生に言ってましたね・・
父も母も、勝手にハードルをあげて私がそれをクリアすることに、喜びを感じてたみたいです。
父が買ってくれる本は、どんどん難しくなっていて、それを読んだというと、すごく喜んでくれました。
でも、父は本の内容とかジャンルとかまったく選んだりしなかった。
何でもいいから難しいの読んどけ!!って感じ。
お習字・そろばん教室でも、幼稚園でも、近所でも「おりこうね~」と、
回りの大人たちにかわいがってもらった幼少期。
幾度か死にかけたこともあるそうです。
そのひとつ。
私にはまったく記憶がないのですが、公園に家族で出かけたとき川に落ち、
上流から下流まで流されたのだとか。
奇跡的に無事だったらしいです。
そう、川といえば・・・・
当時住んでいた家のそばに川があって、弟と2人、その川の土手で自転車遊びを
していた時です。
弟と一緒に、誤って自転車ごと川の中に落ちてしまいました。
今でもあの瞬間を鮮明に覚えていますが、おぼれる弟の手を立ち泳ぎしながら、
ぐいっとつかみました。
絶対この手は離さない。
「あ、私助けられる!!」すぐそう思いました。スローモション映像で覚えてます。
たまたま目撃した大人が、川に飛び込んでひきあげてくれ命は助かったのですが。
そのころからもしかしたら、私は人、弟はを救える力があるのではないかと(笑)
根拠なくそんな自信がありました。
こどもの頃の強烈、不思議な体験でした。