6月13日は「魂のリトリート@十和田湖・奥入瀬渓流」に行って来ました!

 

 


 

 

 

ここ数日青森も夏日が続いていて、十和田湖はまさに初夏✨

 

 

 

 

 

カヌーツアーのガイドさん達もなんども「今日は夏だねぇ〜!」と言っていて、蝉も盛んに鳴いていた。

 

 

 

 

 

 

この時期十和田湖は雪解け水で水位が一年のうち最も高くなるらしく、木々は梅雨〜夏にかけてモリモリになる時期♡

 

水面と木が触れるか触れないかの距離まで近づき、

 

辺り一面「緑・緑・緑」でした‼️

 

仲間の撮ってくれた、緑のコントラストに息を飲む一枚。

 

 

 

 

前回のリトリートが4月の末で、その時はまだ春だったというのに・・・。

 

 

この時も死生観のことを書いていますが、今回もものすごーーーく「死と生」を感じるリトリートだった。

 

空にはハロ♡

 

 

 

 

この時期の山は本当に生命力が溢れていて、モリモリな木々だけでなく新しい命もいっぱい😍

 

小指くらい細くて小さいワカサギの赤ちゃん達が泳いでいたり、

カエルの卵(拳くらいの大きさ)が木の上にいくつもひっついていたり。

 

 

 

 

 

我が家の水槽にも最近初めて稚魚が産まれたので、なんとな〜く「産卵期かな?」と思っていたけど。やっぱり産卵期だった❤️

 

 

 

 

 

 

小さく独立した水槽の中も大自然も同じ"営み"がある。やっぱり"全て"に神々が宿っていることに感動。泣

 

私達もどんなに小さな「個」に思えても、

壮大な宇宙の一部でありちゃんと繋がっているのだよね。

 

 

 

 

 

稚魚が産まれると、親が死にます。これも我が家の水槽と一緒!

 

 

 

 





可愛い稚魚ちゃん達がウロウロと泳いでいる下には、成魚の亡骸。

 

 

 

 

 

今回初体験だったのが、もう何度もカヌーしている十和田湖から磯の臭いがした事😂

 

それがとっても不思議でガイドさんに聞いてみたら、どうやら「産卵後の親が大量に死んだ臭いが混じっているから」という事らしいのです!

 

 

 

 

 

港町の八戸育ちで磯の臭いは生活の一部だったけど、

 

磯の臭い=海水の塩分の臭い

 

だと思っていたから・・・衝撃でした(笑)

 

 

 

 

 

とにもかくにもそれくらい、生と死の入り混じった6月の十和田湖だった。

 

 

 

 

 

 

ほんの少し前まで、自分は"死骸"とか"死体"が超ーーーーー苦手だと思っていました。

 

怖い。

気持ち悪い。

とにかく見たくない‼️

 

そう思ってた。

 

 

 

 

 

だから元々旦那さんが好きだった熱帯魚を始めるのも、ずっと反対してた。幼い頃飼っていた金魚が死んだり、ザリガニが脱皮に失敗して死んだり・・・変色したり腐りかけてたり。もう超〜〜〜怖いんですけど😭ってゆう思いで、長年大反対だった。(笑)

 

 

 

 

 

それが何のキッカケだったか去年から我が家に水槽がやって来て、今ではサロンに巨大水槽まである❣️

 

 

 

 

 

この1年の間にやっぱり魚やエビは時々死んでいて、変色したり腐ったりしている。

 

ただ、私自身の"感覚"が実は「怖い、キモい、無理!」とは違っていることに気がつきました。

 

 

 

 

 

いや、最初は反射的にそう思ったんです!だけど、娘が死骸をまじまじと観察して、色々と報告してくれる😂

 

 

 

 

 

それを聞いているうちに何とな〜く怖いもの見たさで「どれどれ、見てみるか・・・」と思って見た時、あれ?と思った。

 

 

 

 

 

「これはうちで飼っていたあの子では無いな。」というのが最初の感想だった。

 

それはもう、なんて言うか、ただの肉だと思った。

 

 

 

 

 

それを、仲間達が啄ばんみ食っている。

 

 

 

 

 

それはもう、何というか「自然の摂理、循環なんだな〜」という感覚だった。

 

 

 

 

 

「素晴らしい💖美しい😍」というキラキラではなく、もっと深く・静かで・淡々と"美しいなぁ〜"と感じた。感動した。

 

 

 

 

 

理由は無いけど「あの子の魂はここじゃないどこかに行ったんだな。」と思った。

 

 

 

 

 

 

「死体が怖い〜〜〜‼️」は、ただの設定だった😂

 

そうゆう設定だったから、反射的にいつも「生き物の死体」を避けてきたんだなぁ〜という気づき。

 

 

 

 

 

 

そしてその時ふと思い出したのです。

 

そういえば私、人間の死体怖がってなかったわ‼️と。

 

 

 

 

 

と言っても今まで死体をまじまじと見たのって、中学生の頃に一緒に住んでいたおじいちゃんが亡くなった時。数年前に旦那の祖母(当時同居していた)が亡くなっているのを最初に発見した時。この2回だけなんだけど。

 

 

 

 

 

 

おじいちゃんの時は、火葬するまで死体の隣に寝てた。

 

おじいちゃんが大大大好きだったし、それはもうおじいちゃんでは無いにしろ「おじいちゃんだったもの」と最後まで一緒に居たかった。

 

 

 

 

 

 

旦那の祖母も亡くなってから、何度もお顔に触れた。

 

発見した時にはまだ普通に温かくて、火葬が近づくにつれてどんどん硬くて冷たくてペタッとした無機質な触感になっていった。

 

それが不思議だったし、やっぱり一緒に暮らしていたおばあちゃんとも最後に沢山触れておきたい!という気持ちがあったんだと思う。

 

 

 

 

 

「おじいちゃん、おばあちゃんそのものとの別れ」というよりも、大好きな二人の容れ物を慈しんでいたような気がする。例え容れ物であっても、やっぱりそれは"愛しいもの"に思えたから。

 

 

 

 

 

でね、何が言いたかったかというと・・・「死体怖い〜‼️」という気持ちと、死体と一緒に寝たり触ったりすることの辻褄の合わなさ。←ここ。

 

 

 

 

 

ここがすごく重要で、そこを丁寧に見ていくと「死体に対する本当の私」といものがハッキリするんだよね。

 

 

 

 

 

それは私にとって循環であり、愛しい"容れ物"であり、美しさであり、感動だった。

 

これが「本当のこと」。

 

 

 

 

 

それを、リトリートの中で再確認しました❣️

 

 

 

 

 

稚魚も、死骸も、卵も、新緑も、朽木も。

 

もうぜーーーんぶ、対等なんだわ。と。

 

 

 

 

 

全てが対等で、全てが美しくて、カオス。

 

私達は今、そんな場所で生きている。

 

 

 

 

 

それはやっぱり「私を生きる」ことの土台になるし、この土台無くしてやっぱり「私を生きる」はあり得ないと思うのです❣️

 

何を選んでもいい。どう在ってもいい。そこに繋がっているから💖

 

 

 

 

 

魂のリトリートでの気づき、また書いていきたいです♡