いっつも
勤務が終わったらもう
くったくたなんだけど
なんだか今日は特別疲れたよぅ。
家に帰って
もう一回買い物に行く予定が
気絶…
朝は、車で歌の練習もできるんだけど
帰りは、とても歌う気には
ならないんだよなぁ。
アイスコーヒーと
チョコと
ポテチをお供に
(デブの三大神器)
その日あったことをひたすら消化するだけ。
もう、ぐっったり。
一日、センセ、センセ呼ばれ
もろに気を受けてるのかなぁ。
受けすぎなのは、わかってる。
だけど、子どもを目の前にすると
境界線がわからんくなる。
疲れるからいやだと思っても
目の前の小さい人の気持ちを想像すると
全力でやってしまうし
業務の範囲内でテキトーに、
なんて、無理だよ。
学童預かりとして働いて
1カ月が経過してみて
ひとりよがりで傲慢だったなと
恥ずかしくなることもあるし
子どもを可哀想な子にしてはいけないと
思っていながら
やっぱりどこかで
可哀想扱いしていたな、
と思い知ることもあった。
それに気づけたのは
子どものたくましさを
見せてもらったとき。
子どもは大人が思っているより
サバイバル力が高いし
子ども同士の社会の中で
助け合っているのを
目の当たりにすることもある。
だからこそ。
本当に大人の介入が
必要なところはどこなのか、
見極めるのはとても難しい。
学童を学校の先生で預かっていることもあり
かねがね、
教育なのか、保育なのか、
中途半端で、やりにくさを感じていた。
とにかく、
子どもたちの身の安全を守ることと、
子たちがなるべくストレスを溜めないように
生活を見守ることを目的とするならば
従来からの学校の「管理」的な部分は
違和感で
邪魔にしかならないと感じる。
とはいえ、
あと1、2カ月で学校が再開するとするならば
子どもたちが、スムーズに
学校生活に移行できるように促すこともまた
彼らにとっては
必要なサポートであるとも思う。
とにかく
今、平時と違うことは
先の見通しが立たないということ。
これ、かなりキツい。
子どもたちを安定させるにも
ある程度の見通しを与えることって重要で
でも、今はそれが叶わない。
それ以前に
どーなるか
私が知りたいわっ
いつ終わるともわからないこの状況を
だましだまし過ごすのにも
限界が近づいている。
毎日、もう無理かもしれない
と思い続けた四月は過ぎ
子どもたちとの関係性が深まり
すこーし手応えを感じ始めた五月だけど
プリント配布程度にとどまっていた
学校の学習対策も
いよいよ時間割に合わせて
家庭学習を促すようになるらしく
それに合わせて
学童のタイムテーブルも
家庭待機の子たちと差がつかないように
学習中心に変わるとかなんとか
もう
ちゃぶ台ガッシャーン(ノ`m´)ノ ~┻━┻
やわ。
この状況で
学習の時間増やして
落ち着いてやれる子がおるとでも?
こんなん言うてなんやけど
一人もおらんわっ
あらゆる状況を想定して
決定を下さなければならないお上の
難しさもわかるけど
ほんまに大事なんは
今、学習を詰め込むことではなく
最低限、生活できる情緒と、
いざ、学校が始まった時に
勉強が大嫌いになってないことなんじゃないの。
特に、一年生なんか
学校生活に馴染むだけで御の字やのに
ああ、学校って楽しいな、
新しいこと習うっておもしろいな、
と思わせてやれよ、頼むから。
勉強は、いつからでも取り返せる。
だけど、一度削がれたやる気を取り戻すのが
どんだけむずかしいか。
もちろん、
今、勉強したい子もいるでしょう。
だけど、もう土台がグラグラで
とてもじゃないけど
勉強どころじゃない子もまた少なくないと
現場を見ていて思う。
日本の未来を担う頼もしい子を育てたいなら
今、なにをすべきか、
もっと個別的に、柔軟に、
対応すべきだと思う。
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感傷的だし
偏りのある考えだと
自覚しているけど
ま、こんな意見もあるっちゅーことで。
ほんま、どうなるんやろうな。
もうあと少しで学校始まるんやったら
へんに色気出さんと
それなりにするし。
あーーーしんど。




