ご訪問ありがとうございます。
ちょっと忙しくて、久々のブログ更新です。
ASDグレーゾーンな私の半生記を、ぼつぼつと書いています。
前回は私の小学5-6年生の頃の、主にメンタル面の状況を書きました。
今回はそれに引き続き、中学1年生の頃の、メンタル面のことを中心に書きます。
1)全般;
小学校6年の1月からようやく、喘息での入院生活が終わり、自宅での生活に戻ったので、4月から自宅近くの中学校に通うことになった。6年生までの2年間の孤立無援の入院生活で、ボロボロに荒んだメンタル面は、多少、回復した。
2)対人コミュニケーション面;
4月から通うことになった中学校は、ほとんどが、地元小学校から持ち上がりで進学した子ばかりだったので、隣県の病院での入院生活が長かった自分には、小学校時代からの友人というものがおらず、友達作りに苦労した。中学1年生の時にはほとんど友人はいなかった。数少ない対人コミュニケーションは、部活動(生物部)に参加し、たまに先輩や数人の同期と話す程度。
友達作り自体が面倒な感じで、人間関係から逃げて独りでいるのが楽だった。自宅でもTVを見たり、本を読んだり、音楽(主にラジオ)を聞いたりの毎日。(ちなみに勉強はサッパリしなかった)
人間関係、対人コミュニケーションが苦手、めんどくさいという感じを自覚し始めた時期といえる。
別の見方としては、自分の心の構造の本当の姿としての、ASD的側面が、思春期を迎えて、表に出てきた、ともいえる。
なお、自宅ではちょうど反抗期を迎えたせいか、親との関係は良くなく、会話は少なかった。
3)「特別なこだわり」;
思い返しても、この時期、日常生活の上で、ASD的な「特別なこだわり」は持たなかった記憶がある。
・・・この、「特有のこだわり」が無かったのは、その後も同じであり、私は、典型的ASDではない、「グレーゾーン」であったことを意味している、と思う。
4)劣等感、人と自分は違う、という意識の芽生え;
小学3-6年生までは、喘息という病気と闘うことで精いっぱいであり、他人と自分を比べて劣等感を持つ、という余裕もなかった。
が、中学1年になってみて、背がやたら低いこと(喘息の影響や薬の副作用)や、対人コミュニケーションが苦手(友人を作るのが苦手)なことを、自分の欠点と認識し、劣等感が強く感じられた。
また、喘息での闘病生活やら孤立無援な入院生活やらのこともあり、「自分は同級生とは違う人生を歩んでいる」という、疎外感に近い意識も芽生えてきた。
※ この中学校の始めの時期を振り返ってみると、生まれつきの素因が、思春期になって表に出てきてASD的性格(人間関係が苦手)になったのか?、喘息やら、転校やらの要因で友人関係が作りづらいという外的要因が影響して、人間関係が苦手になったのか? 今でもよくわからない。
5)社会性;
対人コミュニケーション力自体はイマイチだったが、それでも、思い立って近くの電器屋で1万円以上のラジオを買ったり、日曜日は商店街をぶらぶらしたり、書店で本を買ったりと、親に頼らず、結構、街にはでていた。「社会性」という点では、特に問題なかった気がする。
6)体調面(主に喘息)
ほぼ、月に一度は喘息の発作(増悪期)が起き、月のうち1週間は学校を休むようなペースでの登校。ステロイド剤の大量投与の後遺症で、骨が脆くなっていて(骨粗しょう症)、小学6年の2学期に腕の骨折もしたし、運動すると喘息発作が起きやすいので、体育の授業は全て見学。また体を使う遊びもできないため、それらも友人が作りづらかった原因の一つ。
文章ばかりの読みづらいブログですが、読んで頂いてありがとうございます。
不定期な更新ですが、次は中学2年生時のことを書こうと思います。