2006年-2008年旅の話。

私の長い旅はオーストラリアから始まった。

 

 

 

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ファームの仕事には繁忙期があり、その時だけ私達のような季節労働者は働くことができる。なので、時期が終われば働き口が無くなり、それが移動のタイミングにもなる。宿にいたって、人は居なくなるし田舎なのでする事がない。何もないのに宿代だけ支払う人なんていない。

 

 

 

その、オーストラリア国内の旅も幸か不幸か1人だった。

もともと1人なんだけど、気の合う子とかできたら一緒に旅できると楽しいだろうなぁ、そして心強いのになぁ。

と、思っていたけどそんなに甘くはなかった。

やっぱり、1人。

1人旅はすべて自分でやんなきゃいけない。


 

宿やツアーやバスの予約全てを、1人で英語でやんなきゃけない。

相手が何言ってるのかよく分からないのに、やんなきゃいけない。

大丈夫なんだろうか?できるのだろうか?

 

 

 

宿で仲良くなった子に、不安なんだよねって話をすると、

「君の英語は大丈夫だよ」と10歳も下の子が励ましてくれる。

この子は16歳なのにしっかりしてて優しい。すごいなぁ。

あぁ、私は大丈夫なんだろうか。

でも、できるようにならないと!!

 

 

 

 

 

毎回、冷や汗ダラダラで体当たり。

一生懸命に知ってる言葉だけで必死に伝える。

相手は流暢にペラペラ何かを言っている。

「?」って表情になってるから、もう一度ゆっくり言ってくれる。

やっぱり分からない・・・。

 

オドオドして何も言えないでいると、相手はイライラして横柄な態度をとる人もいる。

びくびくしながら半泣きになる。

でもこれは、何の意思表示をしない私も悪い。

 

 

聞き取れた言葉だけを繋げてみる。

相手は頷いてポイントだけ言ってくれる。

「!」

何となく通じ合えた気がする!

 

 

 

何となくそんな気がする、だけで物事がどんどん流れていく。


私だけ正確に把握していないのに、予約した宿の部屋に案内され、予約できてたツアーの担当者が迎えに来てくれ、予約できてたバスに乗ることができる。

 

 

私だけクリアに確信することがないまま、一人の旅は当然のように流れていく。

とりあえず、何とかなってたみたい。

毎回、事が過ぎた後にホッとしていた。

 

 

 

 

一つ一つが必死だった。

頼れる人は誰もいない、自分だけ。

そう思っていた。

 

 

でもね、違うんだよね。

言ってる事がわからない相手がいるなら、その相手も言葉があまり分からない私に対して懸命に対応してくれる。反応しないといけないのは、私。だから、目の前の人に頼ったらいいんだって、そんな簡単なこと。

 

 

頼ればいい。

教えてって言えばいい。

助けてって言えばいい。

分からなくて当然なんだから。

 

 

 

人は優しいよ。

ヘルプと言ったら助けない人なんていない。

何を遠慮して、何を強がって人に尋ねることができないの?

助けて貰わないと、1人で旅なんてできないのに。

やってごらん。

 

 

 

言葉が出来ない私だけが、色んなこと分からない人だと思い込んでいて、迷惑をかけてるっていう恥ずかしさを抱えていた。

 

 

ところが、

周りを見たら、英語ができるヨーロッパ人観光客も知らない土地だから尋ねている。

オーストラリア人だって、国内旅行で知らない土地だから尋ねている。

慣れない英語で何度も理解するまで聞いてる人も沢山いる。

あれ。

みんな一緒じゃん。

 

 

 

 

 

そんな事を何回か経験したら、ある時から尋ねる事に対して抵抗が全く無くなった。

1人でのブッキング(予約)や食べ物の注文とか、何でも。

抵抗や恐れが全く無くなった。

 

 

これは、私にとって心が躍るほど嬉しい変化だった。

こんな小さなことが、やったー!って心の中で何回も叫ぶくらい嬉しいことだった。

 

 

 

凄く凄く嬉しかった。

 

 

 

 

 

つづく。