私にとっての長い旅の始まりは、2006年の秋。

出かけた先は、2006年の春になるオーストラリアだった。

26歳になる年でした。

 

 

 

 

 

 

 

きっと誰にでも人生のターニングポイントというものあるで、

それは、自然に流れるように訪れるものであったり、自らえいや!と飛び込むものであったりすると思う。

 

 

 

私にとっては後者の方だったと思う。


えいや!と飛び込むには飛び込むタイミングがあるわけで、タイミングを待っていたのであれば、それは自然の流れが訪れたことだったんだろうか。

 

 

 

とはいえ、私にとってはえいや!!と飛び込んだというよりは飛び出したという言葉の方が当てはまる出来事で、このことから大きく今までの道とは全く違う道を歩いていくことになる。

 

 

 

 

 

 

飛び出した先はオーストラリア。

憧れの外国、憧れの英語圏、憧れのバックパッカー。

地元の普通高校卒業の英語力では歯が立たないネイティブ英語。

言ってる事も分からないし、言いたい事も言えない。

いや、

そもそも言いたい事が何なのか自分でも分からない。

なんて言ったらいいのか分からない、なんだよね。

 

 

 

このままでは生きてはいけない。

そう思った。

 

 

 

言葉よりも大事なこと。

自分が一体何者で、何をしに外国(オーストラリア)に来ていて、何がしたいのか。

これがまず明確でないといけない。

みんなと同じように、楽しい外国生活を楽しみたい!のみんななんて何処にもいない。

みんなは個人で、個人の集まりがみんな。

そのみんなは、皆バラバラの国籍で意見も常識も感覚も違う。

みんなと同じなんて有り得ない。

 

 

 

言葉は出来ないから会話ができない。

自分の考えも大して持っていないから、言葉も沸いてこない。

頷いて作り笑いすることしか出来なくて。

正直、本当に辛かった。

 

 

ん。まてよ。

言葉が出来た日本でも、実は同じように生きていたように思う。

右に倣え。

自分の意見なんてなくて、正解は何なんだろうって周りの顔色ばっかりうかがって。

頷いて作り笑いでその場をやり過ごす。

そうやって生きていた。

 

 

 

 

 

このままでは、ここでは生きていけない。

生きてはいけたとしても、ここにいる意味が無い。


そんなんじゃ駄目だ。

 

 


そこで、

最初に私が身に着けた術は、道化師になることだった。

 

 

 

つづく。