本日は離任式があります。私は退職するので、その際に離任者と併せてお別れの挨拶をすることになります。
離任式にどんな話をするかということで、教頭に次のどちらがいいですかと聞いてみました。
A.授業で生徒にする話で先生方には耳の痛く不愉快を覚える話を1時間する。
B.ピアノ弾き語りをやって去り際の和やかな感じで短く終わる。
すると、ピアノを用意するからBの方でお願いしたいということです。それで、今、ピアノと歌を練習しています。
実は、私の中では、高校教師としての職務意識は15年前、前々任校から前任校に転勤する際にある峠を迎えています。何かをやり遂げたというか何かが終わった、「もう十分だ」という実感があって、離任式のスピーチで涙が溢れてきて止まらなくなって体育館壇上で話し中も話し終わった後もずっと泣いていたという経験をしました。全身全霊のエネルギー全てを使い果たした感があって、身体的にはリウマチ症状が出始めていました。前任校では身体が壊れたのを隠しきれなくなって休みながらの勤務で、9年前に現職場に転勤しました。そして、昨年には腎臓が完全に壊れて入院して瀕死状態を体験し、透析生活が始まり、今に至っています。
今は、人生の節目です。そう実感します。これと似た感じを何処かで体験したぞと思っていたのですが、わかりました。それは、結婚した時の感じです。その頃その時の感覚を思い出しています。だから、当時流行っていた、『全部抱きしめて』の曲をふと思い出して、昨日記事にしたのだと気づきました。
吉田拓郎には何の興味もないのですが、あらためて聞いてみると、これはいい曲です。
いいさ落ち込んでだれかを傷つけたいなら
迷うことなくぼくを選べばいい
さびしさの嵐のあとできみの笑顔をさがしてあげるよ
きみがいたから勇気を覚えて
知らない場所も目をつぶって走れた
きみのためにできることを あれからずっと探してる
全部だきしめて
きみと歩いて行こうきみが泣くのなら きみの涙まで
全部だきしめて きみと歩いて行こう
きみが笑うなら きみの笑顔まで
「きみ」は自分自身で、「ぼく」はありのままの自分を現しています。
「自分自身」と「ありのままの自分」とは異なります。「自分自身」は自分の死を認めないので、死なないと言うよりも死ぬことはできません。それに対して「ありのままの自分」は何度も転生を繰り返して今の自分を生きています。
「自分自身」は時間と空間による規制を受けませんが、「ありのままの自分」はその規制を受けつつ「今、ここ」を生きることで表現しています。
「自分自身」を全部だきしめた時に「ありのままの自分」になれるのです。
ということで、本日の離任式の弾き語りは『全部だきしめて』に……ではないです。秘密です。
