人生の目的について、宇宙全体の機能として生きるとはどういうことでしょうか。

表現と経験の違いについて考えていたら、それは「愛を知る」とはどういうことなのかという問いかけであることに気づきました。

 

 

 

 

 

表現と経験を混同してはいけません。美しい花は神性の表現です。しかし、あなたという美しい花を見て、感じて、嗅いで、触れてみて初めて、神性の経験を知ることができるのです。

外側の表現は、内側の経験を導くことはできますが、決してそれに代わるものではありません。しかし、内なる体験が外なる表現につながるとき、その輪が完成します。これこそが人生の目的であり、世界、そして宇宙全体の機能なのです。


 

 

外側の表現は内側の体験を導くことはできるが、それは体験ではない。表現と体験は異なる。内なる体験が外への表現となることが人生の目的であり宇宙全体の機能となることができた時である。

これは、外側の表現と内側の体験とがいかにして結びつくのかという問いかけです。このことを私なり説明するとこうなります。

 

花は何故咲くのでしょうか
美しいと思ってほしくて咲いている
そう思ったとしたら
そう思いたいからであって
花は咲きたいから咲いているに過ぎない

それでも
そこに咲いているだけの花を見て
美しいと思う
勝手な思い込みをして
内なる体験としてそう思う

そのように
花を見て美しいと思う自分は
どのように生きているのでしょうか
咲きたくて咲く花のように
自分は生きたくて生きているのか
内なる体験は表現できているのか
花はそのように問いかける

咲きたくて咲く花は教えてくれます
花を見て美しいと思うように
誰かのことを美しいと思えばいい
そして内なる体験として
愛することができたのなら
生きたくて生きていることになる

「思う」という内なる体験で
「愛を知る」ことができたならば

美しく生きている

宇宙の機能として欠かせない
唯一無二の自分としての
愛の表現者として
内なる体験を表現することになるのです