昨日も、いつものように4時間の透析。大体3㎏の老廃物を血液から濾過します。寝ている間にそれだけ体重が減るので、たとえると水泳した後の疲労感に似た疲れと空腹感で身体のだるさを感じます。
今週から職場に戻り、仕事を再開しました。昨日は、透析後、出勤して入院中にできなかった書類の処理や片付け等をしながら、思った以上に身体が動くようになったと感じていたが故に、少々無理をしたのかもしれません。急激に血圧が低下して、職場(某高校職員室)の椅子から立ち上がれなくなってしまいました。気分が悪くなり冷や汗と目眩、意識が遠のく感じがあったので、「まずい」と思って、救急車を呼んでもらい、かかり付けの市立病院に搬送されました。
透析していると、血圧が下がることがあるとは聞いていましたが、突然、初めてのことでしたので焦りました。救急車の中で横になっている間にすでに血圧は回復してきたので、憂えることにならなかったものの、また一つ学習しました。
身体と向き合わざるを得ない、つまり身体の声を聞く訓練です。身体の声を上手く聞き取れないから無理をする。身体と会話しながら身体を癒す。それによって心も癒される。
入院中、毎日欠かさずに読んでいた本があります。マクドナルド・ベイン著『心身の神癒』です。著者マクドナルド・ベイン氏にイエスが降りてきて語った言葉であるが故に、ものすごいエネルギーの詰まった本であると認識しています。その言葉の強烈な浸透力が心地良く心に響く。イエスの肉声がストレートに伝わる。まさに『聖書』から除去された「光」がここには存在します。
今回は、その中から「祈りの仕方」について述べられた箇所を引用します。
祈りの力は、祈りと答えとはひとつであるという事実の中に存する。自分と神とは一体である、父なる神の御意志が自分の中で為されるのである。という深い理解を以て祈ることである。神の宿り給うあなたたちの裡(うち)なる聖なる中心の中に入るがよい。そうすれば、そこでわたしはあなたの為に宣言をしよう。
たいていの祈りは(神と人との)分離という誤った考えをもって捧げられている。特にあなたたちの教会や礼拝堂において著しい。神は遙かに遙かなる存在である――という信仰の仕方をしているからである。しかし、神はあなたたちの手や足よりも猶近くにましますのである。
全能者の宿り給うおのが密室に入り、神の御意志の成就を観ずるがよい。それ以外のことを見たり聞いたりしてはならぬ。緊張することなく疑うことなく、自分が助けてあげたいと思う人の上に、神の一人子、神我の勝利が実現している様を観ずるがよい。そうすれば、その通り成就する。
あなたたちの多くが読んだことのあるわたしの記録(新約聖書物語)には病の癒えた物語が幾つもある。それらの癒しは同一の方法、すなわち、すべてを支配する力を認めかつ現わすことによってもたらされたものである。これには何ら肉は与り知らぬのである。
強烈なる、平静な確信を以て神我より語れば、偽(にせ)の状態は完全に消える。神は偏在し給うが故に障碍の霊も瞬時に触れさせることができる。
真の祈りの価値を評定することはあなたたちにはできない。霊的事実(複数)は言葉で表現できるものではない。自分の荷物を外なる神に背負わせ(祈りがかなえられるかどうか)怪しみながらその結果を待つ愚(ぐ)を犯してはならない。神は吾が裡(うち)にあり、祈りとその答えとは一体に等しいからである。
神はすべての中にすべてを貫いて生きてい給う唯一無二の生命である。神こそ実在である。肉の感官は神について何も知らぬ。外なるものは内なるものとなり、内なるものは外とならなければならぬ。このようにして祈るがよい、『父よ、貴神(あなた)はわたくしを御存知です。貴神(あなた)が唯一無二の生ける実在、唯一無二の創造主におわしますことをわたくしは知っています。わたくしは貴神(あなた)と一体です。わたくしが貴神(あなた)に求めるものはすでに成就されています。わたくしの言葉は空しく還ることなく、その本来の目的を遂げます。』
すべてのものへの愛の思いの中に生きよ。そうすれば、あなたたちの生活は一つの連続せる祈り、すなわち、すべてのものの父なる神よりすべてのものへの(神の無限なる愛・智・生命・美・調和等の)不断の流出となるであろう。
「全能者の宿り給うおのが密室」に向き合う。通常意識に於いて、「我」を本気にさせることは、なかなか難しい。しかし、今回のような瀕死の状態に置かれると、怠惰な言い訳ばかりしている「我」も黙り込む。絶望的な辛苦に身を委ねている時ほど、「我」は真実に向き合い、「神」に近づくことができるとも言えます。
「我」にとって都合のいい思い込みを排除して「神」と一体となる。その時はじめて「僞(にせ)の状態」は消えるのでしょう。政治・経済、TV・メディア、教育……すべての顕在意識が「偽者」に隷属させられている状況を打破するためにはどうしたらいいのか。それは、「偽者たち」に乗っ取られて、嘘偽りの情報で騙され続けている集団意識に「我」は加担するのか、抵抗するのか、もしくは妥協するのか、という問題でもあって、どのような想念、波動を維持するのかが問われます。
「すべてを貫いて生きてい給う唯一無二の生命」である「神」と一体となって、ここに確かに「実在」していると感じる。そのようにして「今」「ここ」を楽しむ。
「イエス・インマヌエル(我、神とともにあり)」に倣って、「キリスト」=「神我(我は神なり)」を生きる。