こんにちは😊
Yukiです。
極上の箱根で、「自責タイム」が始まった話
ふふ箱根に来ています。
今回のお部屋は、
メゾネットタイプの素敵なお部屋。
2階には寝室と露天風呂があり、
その横にはシャワールーム。
温泉に入って、
ふわふわのベッドに身体を沈めて、
「あ〜〜幸せ♡」
このまま眠りにつく予定でした。
おやすみなさい。
……ん?
そうだ。
お手洗いに行かなきゃ。
夕食は懐石料理。
日本酒やワインもいただき、
温泉にも入ったので、
「水分補給しなきゃね!」
と、ガブガブ水を飲んでしまった。
ちなみに、お手洗いは1階。
「メゾネット素敵だけど、
トイレ1階ってちょっとめんど〜」
なんて思いながら、階段を降りていたら、
イタッ。
足のくるぶしが痛い。
「やだなぁ。最近、年齢的に関節に負担が……💦」
と思った、その瞬間。
なぜか突然、母の家の階段を思い出した。
母も、階段を降りるの大変だっただろうな。
母は85歳まで一人暮らしをしていた。
足も痛かった。
それでも毎日、こんな階段を
上ったり降りたりしていたんだな……。
そう思った瞬間、
さっきまでの
「露天風呂♡」
「ふわふわベッド♡」
「箱根最高♡」
は、どこへやら。
極上の箱根が、一瞬にして
「深夜の自責ルーム」に変わった。
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母を一人にして悪かったな。
85歳で大変だっただろうに。
同居は母自身が嫌がっていたけれど、
私がもっとできることはなかったのかな。
もっと近くに住めたんじゃない?
もっと頻繁に行けたんじゃない?
もっと、もっと、もっと……。
出ました。
「もっとできたはず選手権」
これ、一度エントリーすると大変です。
過去の資料を脳内から引っ張り出してきて、
「あのときも」
「そういえば、あのときも」
と、自分を有罪にする証拠ばかり集め始める(笑)。
感情脳が完全に暴走しようとした、そのとき。
ふと我に返りました。
「美化するな」
そして、
「お前が背負ってどうする?」
そうだった。
私は今、母を「かわいそうなおばあちゃん」に
仕立て上げ、
その母を十分に助けられなかった
「かわいそうな娘・私」
まで作ろうとしていた。
ちょっと待て。
母は本当に、そんなに弱い人だった?
85歳まで一人で暮らした人ですよ。
自分で生活して、
自分で決めて、
自分の家を守ってきた。
むしろ、
めちゃくちゃ強いじゃないか。
私は母の「大変だった部分」だけを拡大して、
その強さを見落としていたのかもしれない。
そこで、見方を変えてみました。
「お母さん、85歳まで一人でよく頑張ったね」
そしてフラクタル心理学では、
そんな強い母がいるということは、
その強さは私の中にもある。
そう思ったら、
さっきまで胸の中にあった罪悪感が、
少し違うものに変わりました。
「かわいそう」ではなく、
「強かったんだな」
と。
これ、母だけの話じゃないんですよね。
私たちは愛している人ほど、
「大丈夫かな」
「私が何とかしてあげなきゃ」
「この人は私がいないと……」
と思ってしまうことがあります。
一見、愛情深い。
でも、その奥に、
相手を弱い人にしていないだろうか?
という視点も持ってみる。
たとえば、
普段は誰かに助けてもらっている。
その代わり、
「この人に何かあったら、私が絶対に助けるから!」
と思っている。
なんだか美しい話ですよね。
『鬼滅の刃』でいうなら、
炭治郎が禰豆子を背負って歩く。
そして炭治郎が危なくなったら、
今度は禰豆子が飛び出して助ける。
助けて、助けられて。
強い絆。
……なんだけど。
これを現実の人間関係に置き換えてみると、
場合によっては、
「いざとなったら私があなたを助けるから、
普段は私を背負ってね」
という契約になっていることもある。
もちろん本人たちは、
そんな契約書にサインした覚えはありません(笑)。
全部、無意識。
だから厄介なのです。
そして私は気づいた。
「誰かを助ける私」を手放すだけでは、
半分なんだ、と。
もう片方には、
「誰かに背負ってもらいたい私」
がいる。
助ける人と、助けられる人。
背負う人と、背負われる人。
どちらかが悪いわけではありません。
でも、本当の意味で大人になるということは、
お互いが自分の足で歩けること。
そして必要なときだけ、
「ちょっと手を貸して」
と言えることなのかもしれません。
だから、
母をかわいそうにしない。
大切な人をかわいそうにしない。
そして何より、
自分自身を
「誰かに背負ってもらわないと生きられない人」にしない。
母には母の力がある。
相手には相手の力がある。
そして、私には私の力がある。
そう思ったら、
今度はこんな言葉が出てきました。
「私は私の人生を、もっと豊かにする。
それが次の仕事。」
そしてもうひとつ。
さっきまで私を動かしていたもの。
それは愛でもあり、優しさでもあり、そして——
罪悪感というカード。
「もっとできたはず」
「助けられなかったかもしれない」
「私のせいかもしれない」
そのカードを握ると、
人は一瞬だけ「いい人」になれる。
でも同時に、
自分の人生のハンドルも、少しずつ手放してしまう。
だからここで、そっと手放す。
これは愛じゃなくて、カードだったんだ、と。
罪悪感のカードを握りしめて生きるのではなく、
自分の人生を選ぶカードを持つ。
それが、次のステージ。
罪悪感を燃料にして頑張らなくていい。
誰かを救うために成功しなくてもいい。
誰かの役に立つという理由がなくても、
自分の人生を面白くしていい。
豊かになっていい。
幸せになっていい。
……というわけで。
深夜の箱根。
母への罪悪感から始まった壮大な脳内ドラマは、
無事終了。
私は再び階段を上り、ふわふわのベッドへ。
さて。
あなたは今、
誰かを「かわいそうな人」にしていませんか?
そしてその人を助けることで、
自分が「罪悪感のカード」を握りしめていませんか?
「助ける・助けられる」から、
「私は私の足で歩く」へ。
人生の景色は、
そこからまた変わり始めるのかもしれません。
では、また😄💓
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