肋骨の間が重くなって息が苦しくなる。鼓動が早くなって心臓も涙も胸から出てきそう。信号が赤になった。いつもならアクセルを踏んで突き抜けてしまうタイミングだが、ブレーキを強く踏む。もう予定の時間は過ぎているのだがなるべくたどり着きたくなかった。次の曲がり角を右折して坂を上りきったら高校に着いてしまう。生徒が一人、歩いて坂を下ってきた。次男がもう着ることはない制服を着て。

次男が学校に行きたがらなくなったのは、小学六年生からだった。始めは足が痛いの、お腹が痛いだの言って遅刻や保健室でやりすごしていた。中学生になったら変わるだろう、思春期特有の憂鬱な気分だろうと楽観視していていたが、中1の秋ごろからほとんど学校に行けなくなった。気分が向く日、好きな時間に登校するという重役出勤をさせてもらい、私学の高校になんとか入らせてもらった。
制服のシャツはボタンをかける部分にネクタイ代わりに模様が入っていた。紺のブレザー、チェックのズボン。細身で長身の彼によく似合っていたが、機嫌よく通っていたのは、わずか1か月だった。出席日数が足りなくなり、先生の配慮で出してくれた単位取得用の宿題も、とうとう手付かずで夏が終わり、私は退学の手続きのために高校へ向かわなくてはならなくなった。
応接室からは校門が見えた。まだ二十代の担任は『学年主任が来るまでお待ちください』といい私の向かい側に座った。沈黙の時間が続き、私は親指の爪を片方の手で強く押しながら、彼と目が合わないよう窓を見た。外は日が暮れ、徐々に暗くなっていく。窓に映る担任を観察した。ヤツは今から怒られる子供のような顔をしていた。出来たらスマホを触りたい。気を紛らわせなかったら泣きながら何もしてくれなかった担任を責めそうだ。でもこんな時触ったら負けだろう。きっと。
登校しなくても二学期分の学費は払うように言われ、在学中の机の中のものを渡された。本が1冊とTシャツが1枚。出席しなかった文化祭でのお揃いのクラスTシャツだそうだ。
とおりいっぺんの挨拶をして校舎を出た。車に乗ったら一刻も早く学校から出たかった。坂を下り切ったところで、叫びながらTシャツを助手席の足元にあるゴミ箱になぐりつけた。小さなゴミ箱には入りきらず、音もたてずマットの上に落ちただけだった。
信号が変わるまで声を出してわめいていた。気がついたら止まっていたのは、信号ではなく一旦停止で、私はずいぶん長く同じ場所に車を停めていた。あわてて発進した。
この顔じゃ家に帰ったら、次男が過度に心配してしまう。かといって店にも入れない。こんな時に行く場所がどこにもない。夕食を先に食べてといってあるけれど、あまり遅くも帰れない。主婦が一人で泣く場所はどこにもないのか。
まだ怒りは収まらず声も涙も流すまま車を走らせていると、幹線道路に出たら自宅まで、まっすぐのはずなのに、田んぼ道を走っていた。暗くて道が狭く、脱輪したら終わり。泣くどころではなく真剣にハンドルを握らなくてはならなくなった。ナビは自宅に向かっているのだが、知っている道になかなかでない。早く帰りたいのだけれど運転ミスは命とりだし、急に何かにぶつかる可能性もある。時々ナビが差す曲がり角は曲がったらもっと狭そうで、ひたすら田んぼの中を走り続けた。すっかり顔もごまかせるほどに戻ったころ、見慣れた道に出て家にたどりついた。
リビングで待っていた次男は、名前と出席番号が背中に入ったTシャツを黙って受け取り、部屋に戻っていった。