「四十にして惑わず」という言葉は孔子の論語の一節です。
そしてこの続きは、
「五十にして天命を知る」

四十にして惑いっ放しだった凡人の私が、
孔子のようにはいかないのは当たり前なんですけど、
でも、五十にして気付いたことはものすごく多かったなと。

勿論今後もまだまだいろいろあるのでしょうが、
この4~5年で、様々プライベートでの状況の変化と共に
自分自身もかなり変わったんだろうなあと思います。
多分6年前の自分は、全く「今」を予測してないもんね。

でも、いつまで経っても動かないから
強制的に動かざるを得ないようにされた感も否めないケド(笑)


比較的分析好きではあるものの、
自分のことをじっくり掘り下げて考えるのは
多分、してこなかったんですよね。

いろんな要因はありますけど、
まあまあ、育ってきた環境等によるものも大きいかな。
「あやしい話」カテゴリにいっぱい書いちゃったけども。
結局は、自分自身から目をそらしていたかった。
そのことにも、1年かけてようやく気付いたなあ。
なので「あやしい話」は不思議話でもあるんだけど、自分まとめ。


いつもね、もっともっとと思っていたんですね。
欠乏感です。

元々、探究心はあるものの、
自分が持っているものを深めることではなく、
自分が持っていないものを新たに手にしようとしてたんですね。

そうし続けていかないと、
認められないと思っていたから。
元々あるもので勝負なんか出来ないと思ってたんです。
強烈なコンプレックスと承認欲求ですね。

小さい頃からずーっと思ってましたもん。
私はあの子達みたいに堂々とできない。
どうしたって周囲から軽んじられる。

じゃあ、どうしよう。
認めて貰えるものを探そう。
まだ足りない。
まだまだ足りない。

んでまたねえ、小器用なワケですわ(笑)
どうにもダメってものもあるんですけど、
だいたいのことは、なんとなく出来てしまう。
ちょっと頑張れば習得してしまう。
だから結構簡単に頑張れる。


なので、去年日本中を席巻した
「ありのまま」という言葉が大嫌いでした(笑)

あっちゃこっちゃの、ブログ等々で
「ありのままでいいんだよ」なんて書かれてたりすると、
「けっ」てなもんでね(^m^)
(すいません、すいません)

勿論この言葉を深く読み取って書いている方もおられたと思うんですけど、
安易に使われている内容のものもたくさんあったりもしましたしね。


だけど考えたんです。
強烈な拒絶反応を持ってしまうのは、
自分の中にある何かがひっかかってしまうからだってこと。

で、やっぱり出てきたのは、
「私はありのままでいては世の中に受け入れられない」
というとても強い前提。

だから、もっと学ぶ。
だから、もっと習得する。
だから、もっと突き詰める。

そしてそれは、結構自分には簡単なことで、
成果が見えるのが楽しかった。


いわゆる、強烈な二次ね(笑)


多分私が欲しかったのは権威、かな。
でもそれは、元々自分には余りないもので、
更に、こういうやり方では身に着かないものだったワケですよね。

今年の頭から、突如、それをやめようと思い立ちました。
勿論、手相にしても石にしてもWEBにしても、
今仕事として成り立っているものに関して
もっと深めようという思いは強いです。
多分、ものすごく強い。

だけど、新たに手を広げるのではなくて、
元々持っているものを深めて、そこに反映させようと
そんな思いにシフトしています。
今でも「ありのまま」って言葉は嫌いですが(笑)

もっと学んでも、
もっと習得しても、
もっと突き詰めてもいいんだよ。

というか、そうあることが自分の本来の姿なので。
ただし、ベースに持つ概念は、
そうしないと自分は認められない、ではなくて、
そうすることがより自分らしく自分を生かす道だから。


随分無駄に頑張ってきちゃったなあ。
表面上やってることは同じでも、
根っこが違うとちょっと見える景色も違います。

そしてね、やっぱり私の中指は、日々真っ直ぐになってきているのです。
ね、指はウソをつかない(笑)

これ、田村由香理さん招致、2/11の手相ランチ会のサブタイトルです。
由香理さんのネーミングセンス、改めて素晴らしいな~。
そうそう、ランチ会、定員8の増席1で満席です。
ありがとうございますm(_ _)m


あ、ただ、真っ直ぐだからいい、曲がってるから悪いって話じゃないですよ。
それも人それぞれです。
どうして中指が私の場合真っ直ぐになると「そう」なのか、
もし気になる方は、どこかで捕まえて聞いてくださーい(放り投げたっ、ごめん(笑)