皆さま、こんにちは!
今日もまた、「鉄道ファン誌」のバックナンバーからネタを。
決して、ネタ切れした訳じゃないですからね!
国鉄時代の車両と言えば、
製作費は国民の税金によって賄われるために、
耐用年数まで達していない車両の安易な解体は
出来ませんでした。
故障の多さから淘汰したくても、
廃車すら出来なかった車両(DD54形機関車など)があったりと
車両のやりくりは大変だったようです。
とくに”赤字国鉄”が叫ばれた昭和50年代後半は
車両の新製費用もままならず、
改造車によって車両の需要を調整してました。
581・583系特急型電車の
近郊型への改造(715系・419系)や、
列車の短編成化に伴う先頭車化改造は
記憶に新しいところですね。
そんな中、
わずか4年弱で解体の運命にあってしまった車両があります。
その車両を今回はご紹介しますよ。
通巻260号(昭和57年12月号)でした!
表紙を飾っているのは、
現在も広島地区で活躍中の115系3000番台車です。
3ドア・固定クロスシートが当たり前の115系電車なのに
2ドア・転換クロスシート付で登場した異端車。
京阪神の新快速用117系電車似の車両でした。
この115系3000番台車と共に
「新車ガイド」に挙げられた車両が
客車による運用が残る
新潟・長野地区~上野駅間の郵便輸送を電車化するため、
従来形式のクモユ141を増備する形で新製された
形式でした。
従来のクモユ141に比べ、
クモユ143は抑速発電ブレーキが装備されたほか、
空調装置がAU12S×4基→AU13E×3基に変更。
前面の3枚ガラスもHゴムから金属の押さえ金になるなど
昭和57年9月に川崎重工で3両が落成、
1が長岡運転区に
2・3の2両が長野運転所に配備されてます。
配備後は直江津・上沼垂方面から隅田川への
郵便輸送に活躍してたはずなのですが…
運命のいたずらとは恐ろしいもので、
昭和61年9月のダイヤ改正で
鉄道による郵便輸送が幕を閉じてしまいましたの。
行き場を失った郵便輸送用の車両ですが…
国鉄所有の郵便荷物合造車(ユニ)は
一部が救援車代用車(スユニ50)や
旅客車(クモハ123等)に改造されましたが、
郵政省所有であった郵便車は転用がきかず、
エンドに「郵政省」の銘鈑が付くクモユ143
ちなみにこちらは
保存例がわずか2両しかない郵便車うちのオユ10 2565。
最後はどうでもいい話ですが、
自分がまだ高校生だった30年前は
普通列車ではまだ客車が現役でした。
車両は当然、非冷房車ですけど、
郵便車だけは冷房が完備されてたのです。
旅客車両の冷房装備が当たり前の昨今、
国鉄が「各線の冷房化率」なんてのを発表していた
ひと昔前を懐かしく思います。






