NHK連続テレビ小説’28年度前期に、宮藤官九郎さん作、河合優実さん主演の『ほんのモキチ』が決まったという報道がありました。
ベースとなるモデルは斎藤茂吉夫妻。
奥さんの輝子役を河合さんが務めます。

斎藤茂吉といえば、その終焉の地を、4年前に偶然見つけました。
ブログに書いたはず、と探したけれど、ヒットせず。
最近の検索は似たような記事はカットから出てこないのか、あるいはもともと入れていなかったのか?

とりあえず画像を見つけたので、以下に貼り付けます。

 

 

 

 

千駄ヶ谷への道すがら、通りかかったビルの前の説明版にはこう書かれていました;


所在地 新宿区大京町22番2号
指定年月日 平成25年3月27日

 

内容をかいつまむとーー

この地は、歌人・精神科医の斎藤茂吉(1882-1953)が昭和25年から亡くなるまでの約2年間を過ごした場所;
茂吉は、14歳で上京後、医師斎藤紀一が開く浅草医院に間借りし、第一高等学校に学んだ;
明治38年(1905)斎藤家の女婿となり東京帝国大学に入学、卒業後は、長崎勤務、ヨーロッパ留学を経て、養父が院長をつとめる青山脳病院に勤務し、大正13年(1924)に同病院が全焼すると、養父に代わり院長となり、その再建に尽くした;
歌人としては、伊藤左千夫に入門し「アララギ」の創刊に参加、その後「赤光」・「あらたま」・「つゆじも」など多数の歌集を発表;
長男の茂太(精神科医・随筆家)が開業するため、ここに医院兼住居を新築した;
同居家族は、妻輝子や次男宗吉(小説家北杜夫)など;
茂吉は既に最晩年であり、体調が優れなかったが、歌集「石泉」・「霜」を刊行し、文化勲章も受賞;
当時の家屋は昭和63年(1988)に解体;
書斎は上山市の斎藤茂吉記念館内に復元展示されている。

 

 

 

 

さらに壁面にはプレートもあり、息子の茂太さんが記したものとわかります。

「新宿の大京町と いふとほり わが足よわり 住みつかんとす。茂吉」

 「父斎藤茂吉は、空襲で南青山の自宅を喪ったあと
 昭和25年11月14日この場所の新居に住み、
 昭和28年2月25日に没した。
 右の歌は最後の歌集「つきかげ」に収められている。
 平成元年11月  齋藤茂太」

 

 

 

 

上記で参照されている茂吉の「赤光」は、木下杢太郎記念館(伊東市)で見ました↓

(=>その時のブログ)

 

歌集「赤光」の挿絵には杢太郎の「蜜柑の収穫」「仏頭」が使われています。↓

2人は39通もの書簡を交わしていたそうです。

 

「まず自分が影響を受けたのは木下杢太郎、北原白秋の詩だ」という茂吉の言葉もありました。

 

 

 

斎藤茂吉から杢太郎(太田正雄)宛の書簡:

 

満州の病院(皮膚科)宛てになっています。WIKIによると杢太郎はー

1916年(大正5年)から1920年(大正9年)まで、奉天(現、瀋陽)の満鉄付属地の南満医学堂教授兼奉天医院皮膚科部長を勤めた

そうなので、その期間に投函されたものでしょう。

 

 

 

実力派の河合さんと、朝ドラっておもしろい、と思わせてくれた「あまちゃん」の作者クドカンとのコンビが生み出す再来年の朝ドラ。

期待感しかありません。