今日は前回の
『健康かどうかで自分の価値は決まらない』。
という記事の続きのような感じです。
ブログ:『健康でない私はダメな私?』
◇◇◇ ◇◇◇
私たちは今の生活環境、肩書、状況、見た目などに
”自分”の姿を見がちです。
たとえば私の場合なら、
・東京に住んでいる
・セラピスト
など。
本来この状態や様子を表す言葉はとってもニュートラル。
でもここに『個』の思いや解釈、ストーリーが入ると
・東京に住んでいるkeeさんは○○
・keeさんはセラピスト。
だから○○なはずだ。△△に違いない。
○○や△△に入る思いはポジティブなもの、
ネガティブなものや
特にそこまで気持ちが動かないものもあるでしょう。
例えばポジティブなら、
・東京に住んでいるkeeさんは新しいものを知っているんだろうな
ネガティブなら
・東京に住んでいるkeeさんはせわしなくて、ストレス多そう。
など。
そしてこの最初の印象&解釈から、
こんどは自分のストーリーが出てきます。
・それに比べて私は何も知らない。遅れている。
・あんなゴチャゴチャしたところで良く暮らせるな。
などなど。
この「印象」自体が自分の思いからくる解釈で、
さらに解釈が広がり、自分(や相手)をポジティブ
(またはネガティブ)に捉え始めます。
でもこうして見ているとき。
私たちは自分(や相手)の”そのもの”を
見ているでしょうか?
解釈を通して見ているものは私(相手)そのものではなく
『その人の周りにあるもの、条件』
という外枠。
・東京在住
・セラピスト
というレッテルを外してみたとき…
目の前にいるのは誰でしょう。
どんな人でしょう。
私たちは本当に一瞬にして、自分や相手に
「自分の解釈」からくるラベルを貼ります。
すると、途端にストーリーは膨らみ
優越感や劣等感の比較ゲームが始まります。
ラベル貼り&比較ゲームは、人に対してだけではなく、
物・状況をみたときにも始まります。
(思考はなんて絶え間ないんだ!)
このような解釈のラベル貼りと比較ゲームは
無意識のうちにしていること。
このフル稼働のジャッジ状態から抜けるのは
「~って、思っているんだな。反応しているな。
そう思ったんだね、わたし」
”観察”の視点になること。
(思考を眺めるエクササイズですね♪)
わかっちゃいるけど繰り返す♪このゲームですが、
私も地味~に毎日エクササイズしております。
◇◇◇
最初のテーマに戻ると、
「移り変わる状態に見ているものは一過性の”私(相手)”。
変化し続けているもの。
変わりつづけるものを真実、と捉えるのではなく、
変わらない本質の部分。真実に目を向けてみよう♪」
ということです。
書いている私ももれなく執着したり、戸惑ったり。
反応は出てきますけれど(^^)
そんな自分の反応も眺め続けてみよう。
今日もよい一日を![]()
=========================
〇お問合せ・お申込みは
=========================
ー 募集中のクラス ー
※すべてオンラインのzoom開催です。