今日は何度も読み返している本、
エックハルト・トールの「ニュー・アース」の中から
心が軽くなるヒントをシェアします。
以下、そのまま抜粋してみます。
よかったら少しの間、書いてあることや
読んだ後の余韻を感じてみてください(^^)
アタマで「うん、知ってるよ」と片付けるのは
とても簡単なのですが、
それが本当に腑に落ちたとき。
そして、行動に移せたとき。
そこに「わかった」があります。
私たちはすぐに「わかった」「知っているし」と
くくるときがありますが、ぜひ
”自分の体験として、落とし込む”
ことをしてみるのはどうでしょうか♪
~エック・ハルトトール『ニューアース』P258より~
・ただ認識する。
ほとんどの人の現実はこうだ。何かを認識するとすぐに、
幻の自己であるエゴがそれに名前を付けてラベルを貼り、
解釈し、何かと比較し、好悪や善悪を求める。
この無意識の脅迫的なラベル貼りがやまない限り、
少なくともその行為に気が付いて観察できない限り、
スピリチュアルな目覚めはない。
この休みないラベル貼りによって、
エゴは観察されない心としてのこの場所を維持しいている。
ラベル貼りをやめるか、その行為に気が付けば、
内なる空間ができ、もう心に完全に占領されることはなくなる。
-中略-
頭の中のコメントなしに、結論を出したり、
比較したり、何かをそこから引き出そうとせずに、
ただ観察することができるか?
-引用おわり-
セッションでも講座でもいつもお伝えしている
「思考を眺めること」→思考の観察。
というのはこのことです。
私たちは目の前のあらゆる、モノ・人に
何らかのジャッジと解釈をしながら生きています。
(自分のビリーフ・信念を映写機を通すようにみている感じ。)
わかっていても、あまりに当たり前のことだと
すっかり忘れていつもの自分モードであてはめます。
例えば、いつも使うiphoneやマグカップ、
毎日会う家族や友人なども。
それが良い、わるいということではなく、
ただ、そのようにして見ている。ということなのですが、
その自分のフィルターを外してみたときに
広がる世界もあるのです。なので、
苦しみやつらさの中にいるときには、
外を変えるのではなく、内(自分のフィルター)を
変えることで世界は一変します。
ですので、この『眺める』視点があると、
自分のフィルター(解釈・ジャッジ)に
気が付きやすくなるので、たまに
「自分はこのモノ・この人をどう見ているのだろう?」
「真逆の考えの人だったらどう感じるだろう?」
というように思考の枠を緩めるワークもおすすめです♪
自分の世界が安全で楽しいものであれば
それはそれで素敵ですが、何か今
しっくりこない感じがあるのであれば、
視点を変える=世界を変えるときかもしれませんね(^^)
