病気になっても病人になる必要はない。
そんな言葉がありますが、最近、そう感じました。
寝たきりにならなくてもいいし、苦しみはあっても健康な時と同じように考えればいいと思います。
風邪を引いたら休むし、栄養を摂るし、冷やしたり温めたり、ビタミンや水分を摂ったりと同じです。
苦しさや不安や痛みや疲れや治療法が見つからなかったりと様々な状況はありますが、基本的なことは同じです。
最後の一葉が落ちたら私の命は・・・
何てセンチメンタルな感覚にならなくてもいいのです。
逆に言えばなってもいいのです。
最後の一枚が落ちたらまた違う木を探します。
そうやって人は頑張る区切りをつけます。
あの電信柱まで頑張ろう、100数えるまで頑張ろうと達成できる区切りをつけて負担を減らします。
壮大な目標を達成するには小さな幾つかの目的を一つずつ達成することで大きな目標を達成させます。
病気だから笑ってはいけない、楽しんではいけないということはないので、風邪の時と同じように体調を見ながら、休んだり、起きたりします。
長く寝ていると自律神経が乱れるので、眩暈(めまい)や立ちくらみや筋力の低下や血流が悪くなったり、栄養が回りにくくなったり、体温が下がったりするので、少しでも楽や楽しみを見つけたり、季節感を感じられるようになりたいですね。
元気な人でも入院すると退屈だったり、体調が悪くなることがあるので、病気になっても病人にならないように生活したいですね。
負担なく、体調や体力に合わせて、無理なく暮らしたいですね。
楽しい闘病ライフの仕方とかあればいいですね。
病気の時こそいつもより丁寧に怠惰に暮らしたいですね。
体力がない時の掃除の仕方、とか、食事をどうするか、とか、ゴミ出しや支払いや休めないことばかりです。
私は病気でも早朝にゴミ出しをしてから転々と引っ越しをさせられながら、嫌がらせの如く、ゴミの日が一度も同じじゃないし、ゴミ捨て場を教えてもらえないので、歩いて探しました。
全自力でした。
掃除しなくても死にません。じゃなく、ヘルパーやお掃除ロボットを買ったり、レンタルしたり、楽に出来る掃除方法や買い物や食事の確保が大切です。
負担の世の中です。
ちゃんと出来るかシミュレーションしてから考えろよ。と思います。
相変わらず、頭が破壊されているので、言いたいことを考えたり、思い出したり、素早く書けないので、意味ありません。
他人やAIと話した後遺症です。
人は要領を得ないので、簡潔に話しても理解しないので、脳に大きな負担が掛かります。
言いたいことを元のように簡潔に言えるようになりたいです。
要領悪いの嫌いなので、フラストレーションになります。
他人や社会が病気の原因です。
自分の身は自分で守るべし、です。
私も時にか弱い病人に、病気でも、時に健康な人になります。
どう暮らすかが大切です。
元気な時から何をするかリストにまとめておくといいと思いました。
楽しい闘病ライフが大事です。
部屋着何着ようとか、暖かグッズとか大事です。
昔は、お見舞いがたくさん貰える人は、薔薇が百本とか、お菓子、フルーツのカゴ、食べ物、お見舞金、手紙、等々色々貰っていました。
私は12歳で病気でないのに他人に無理やり入院させられましたが、一切何も貰っていません。
私以外の家族は全員貰っていましたが、私は何も貰えない人生です。
お祝いもあげるだけで、貰えません。
人生って決まっているみたいですね。
他人から大事にされないので、自分で大切にしないといけません。
私を大切にしない人を私は大切にする必要も助ける義理もなかったことが分かりました。
自分を大切にすることの大切さを知ります。
皆様もあれやこれや考えても自分を大切にすることを大切にしてくださいね。