私には愛すべき
3大おばば達
(愛情をこめて、敢えておばばと呼ぶ)
が居ます。



そのおばば達の命のリレーのおかげで
今の私があるのです。



おばば1号=義母
大腿骨骨折から一気に身体が弱くなり、認知症も進んでしまいました。
介護生活は、辛い事も多かった。友達に相談しても、皆んなのご両親はまだまだ元気ですし、友人達には介護についてのイメージが湧かなかったのでしょう、私の気持ちを理解する事はできません。なので、友人には一切介護についての悩みを相談するのを止めました。

昨年の夏に義母が入院した時、看護婦さんに「この状態だと要介護5のレベルですよ。今まで良く自宅介護頑張ってきましたね」と言われ、少し気持ちが軽くなったのを覚えています。

義母が入院してくれなかったら、私はいとちゃんの腎不全の介護は出来なかったでしょう。




おばば2号=いとちゃん

いとちゃんとの暮らしは1年と2ヶ月でしたが、大変濃い時間を共有させて貰えました。

腎不全と向き合い、頑張って闘いました。

義母が入院した後、いとちゃんはほぼ毎日通院していて透析もしていました。同時に私の不妊治療も再開。

義母の介護ベッドで寝かせて貰っていたので、いとちゃんに何か起こった時にすぐ対応できるようにしていました。

いとちゃんの介護をしつつ、何故か不妊治療を再開した私も不思議ですが…彼女は自分が瀕死の状態であっても、私を励ましてくれていました。

いとちゃんの具合が悪くなって行くにつれ、私の体調にも変化が見られました。
「ねぇいとちゃん、赤ん坊に会ってくれるよね?」と聞いた時、いとちゃんは「うん」とは言ってくれませんでした。

いとちゃんが空に還った丁度1週間後、私の妊娠が発覚しました。
義母が入院してから1ヶ月半後の事です。




おばば3号=おねさん

いとちゃんが逝ってから、直ぐにおねさんの癌が発覚しました。

おねさんを我が家へ引き取った年に、私は不妊治療を始めたのでした。

治療の成果がなかなか出ず、落ち込んでいた時はいつも「大丈夫、大丈夫」と言って励ましてくれていたおねさん。

妊娠初期から中期までは絶対安静にしなければいけない程危険な状態で、その中でおねさんの介護が始まりした。

いとちゃん同様、介護は2ヶ月程でさっさとお空へ旅立って行ったおねさん。

私を応援する為に、私の元に来たよと言っていました。その言葉通り、不妊治療開始と双子を授かった事を確認したらさっさと逝ってしまいました。



3大おばば達の
このタイミングの良さときたら!



現在、義母は穏やかに施設で生活しています。今日4/30に義母を歯医者さんに連れて行きました。歯医者さんは我が家の隣にあるので、ついでに猫軍団にも会って貰いました。
嬉しそうに軍団を抱きしめていました。


いとちゃんとおねさんは、お空の上から「大丈夫、全て順調」と励ましてくれています。


おばば達は、私の足かせにならないよう空気を読んでくれたのだなぁと実感しています。



平成は色々とありましたが、
やはりこの
3大おばば達について
語らなければと思いました。



おばば達よ、ありがとうね。




令和になりました。