誰でも、好きな音や、音楽があると思う。
雪国では、冬は雪が音を包み、空気も澄みわたり、静寂に包まれる。
長い冬の終わりは、小鳥たちのさえずりが伝えてくれる。雪解けの渓流は、とどろく。山に棲む男ガエルから求愛の唄をうたい始め、水の入った田んぼで、川で、様々なカエルたちが美声を震わせる。
そしてエゾハルゼミが、天から降る音楽のように、唄い始める。里の人たちは、その頃にネマガリダケがはえることを、知っている。
春夏秋冬、多種多様な生きものが、いのちを伝えてゆく。
人間が生み出してきた音楽も、とくに、先住の民の音楽は、原生自然の音楽と響き合う。
ある時、こうした専門家と話をした時に、東北の盆踊りの大太鼓と唄が、違った旋律でありながら、ひとつの音楽になっていて、無限に響いてゆくようなエネルギーを感じると伝えた。
すると、その方は、それが、ある地域の先住の民の音楽の特徴だと教えてくださった。
音楽と響き合う“こころ”は、生きものと“こころ”を響き合わせることと同根だと思う。
冬の陽光のなかで、白鳥が食べものを求めて声を掛け合って、田んぼに降り立つ。遠くまで響きわたる美しい声だ。
保護した猫のまーちゃん、みーちゃんが、昼寝をしている。モクモク食べ、健康なウンチをして、後の時間は、全力で疾走して、狩りの練習をしている。洗濯物やカーテンに登ったり、ふたりで競争したり、卵の殻で遊んだり、セリを噛んで毒出ししたり、部屋のなかの暮らしなのが申しわけないのだけれど、いつか、屋外でも、人間が彼らを損なわないような社会になるようにと願っている。
ここでも、彼らの響き合ういのちが聴こえる。
私たちは生きものだから、感性をとぎ澄ませば、日々に美しい音楽のようないのちに触れることができると思う。
それは、同時に、かけがえのないいのちを奪う暴力、人災を無化するエネルギーにつながっている。