春馬さんがテレビに出ていた頃、私は、国営放送のMCの春馬さんしか知らなかった。
隣の女性を支えているので、どちらかというと、控えめな若者。
それが、新聞で事件を知り、その日に、テレビで出演映画が放映されるという。
そんな偶然は、あるものだろうか。
それ以降、毎日のように、春馬さんの作品やインタビューや、本を買って読んだ。
あの白黒の写真集、なぜクローゼットの写真なのか。
春馬さんの若き日のカレンダー制作動画をネットで観た時、自分の意見も言って、最高のものを作ろうとしていた春馬さんがいた。
クローゼット写真の意味が分からない。これも偶然なのか。
私は石立鉄男のファンになる前に、市川雷蔵のファンだった。
雷蔵が興業のための作品に出ざるを得なくて、その分、自分のやりたい作品をやるという条件で、過労死するほどのしごとをしていたことを、この頃知った。
春馬さんの希望する作品は、どれほどあったのだろう。舞台「キンキーブーツ」が希望の作品なら、事務所は、何が何でも作品化する責務があるだろう。
事務所は、春馬さんもファンも尊重していない。沈黙するだけだ。保身のために。
幼い頃から働き続けた春馬さんの、たくさんの映像を観る。気づくと、息子を観るような(子はいないのだけれども)思い。
しゃいで、人見知りで、でも、勝ち気で、しんのある少年が、何度も脱皮してゆく。今度は、何になるの? どこまでゆくの?
そして、昨年の昨日、友人が急死した。春馬さんの話を聴いてくれた人。春馬さんがいなくなるのはおかしいと分かってくれた人。
おかしいよ、なぜ、春馬さんや友人がいなくなるのか。
生きることの本質を、知っている人。
いのちは、原生自然と一体で、私たちのいのちもつながっていることを、知っている人。
この、むごさにことばなく、どうにも生きようがない。
そうしたら、どうだろう。
ここにいると、気配がする。
真っ白な鳥になって、きれいな蝶になって、広い道路を一真に駆け抜ける子猫になって、ぴょんと飛び出てくれたトノサマガエルになって。
いつも、生きている気配がするのだ。
私が、春馬さん事件の真相を知りたいと思えば、きっと、こんなふうに、ある日、知ることができるように思う。
いのちとは、響き合う音楽だ。
生きているかぎり、ずっと、愛おしいものと共にうたい続けることができる。
私にとって大切なことを教えてくれた春馬さんと友だちを、いま、思いきり抱きしめたい。