友を思うと、春馬さんを思い、父を思う。


父は、日本が大恐慌の時に、この世に生まれた。

十代で、学徒動員のために、軍事飛行場で働かされた。

あまりにひもじく、死にそうになり、何とか理由をつけて、ふるさとに帰った。帰る列車の中で、偶然にも、小学校からの親友と再会した。親友は別の軍事工場で働いていたのだ。


二人とも、あまりにも空腹で、ふるさとへ帰る途中に、親友の親戚の家に立ち寄った。

親戚は軍人だったので、白米を食べていたから、長らく食べることのできなかった米を、腹一杯食べたという。


成長期に、充分に食べられなかった父たちの世代は、働き盛りの四十代にかけて、何人もの父の親しい友だちが亡くなった。


やっと退職して、これからは、もっと自分のために時間を使おうという六十代にもまた、父の親しい友だちが亡くなっていった。


そして、父も大病をした。何とか、七十代まで好きなことをし、八十代になってすぐ、父も亡くなった。


父は暴力が嫌いで、少年の頃から参加する、軍事教練がいやだった。

心身を自由にできない。いつも、駆け足で進めだ。


敗戦後、父は、自分のことばがないことに、驚いた。

日々に強制されたことばは、自分のことばでなかったのだ。


長い長い時間をかけて、父は少年時代を取り戻し、自分のことばを生んでいった。


父にとって、共に、戦争を生きのびた友だちは、誰よりも、かけがえのない人たちだった。


ひとり、またひとりと、かけがえのない友だちが亡くなり、この世に残った父は、どんなに淋しいだろうかと、子どもながらに想像した。


晩年、父は、私に「お父さんは、淋しいんだ」と言った。いつも穏やかで、人を笑わして、自由に生きている父が、孤独でいる。

私だけは、父の淋しさを分かってあげたいと思った。


父が亡くなり、今度は、私が淋しくなった。

父が亡くなる数年前に、若くして、私の親友が亡くなっていた。


この世に残されたものの哀しみが、あふれてきた。


すると、どうだろう。夢の中に、父や親友が出てきて、笑うのだ。

「おかしいよ、ここにいるのに」と言って、私を抱きしめてくれる。


それから十年以上がすぎた。

少しずつ、父たちに、近づいていく。


私の愛おしいものたちが大切にしたのは、自由と、生きものとしての尊厳だ。


私が、それを大切に生きていれば、彼らに、いつでも会える。


彼らと響き合う魂があれば、彼らと共に、未来を生きることができるのだ。


もうすぐ、夜が明ける。