道ははっきりあらわれるのでは
真の道でなく、
言葉はあれこれと
弁じたてるのでは十分でなく
仁愛はいつも
決まった形では
広く行き渡らず、
清廉は潔癖ばかりでは
実意がなく、
勇気は逆らい争っているのでは
真の勇気とはならない。
この道と言と仁と廉と勇との
五つは、円いもの、すなわち
そのまで円通自在なものであるが、
しかもともすれば角だった
動きのとれないものになりがちである。
知識については
分からないところで
そのまま止まっているのが、
最高の知識である。
分からないところを
強いて分かろうとし、
また分かったとするのは、
真の知識ではない。
(斉物論篇)
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この続きに
こんなことが書いてあります。
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言葉としてあらわれない言葉を
誰が知ることができるだろうか。
(中略)
もし、それを
知ることができるものがあれば
これこそ自然の宝庫と言えよう。
そこにいくら注ぎ込んでも
溢れることがなく、
そこからいくら汲み出しても
無くならない。
(中略)
こういう境地を
外にきらびやかに出る輝きではなく
内にこもった、
有るがごとく無きがごとき光
というのである。
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だからなのかな……
声高々に断言するような人が苦手。
正しい、正しくないにこだわる人が苦手。
わたしは知っていると言う人が苦手。
きらびやかな人が苦手。
全く光ろうとしない人も苦手。
…
ま、わたくし、苦手な人が
いっぱいいますのよ(*´罒`*)
ほのかに光ってるような人に
惹かれる、あんとみです。
そして、
有るがごとき無きがごときに
光りたい
…
…
(*^^*)
