こんにちは、あんなです。

昨日、自己紹介の記事を
アップしました。
親の希望通りの進路をあゆみ、
就活で苦しんだ経緯や、
安定の大手企業をやめて
完全成果報酬の仕事に
飛び込んだきっかけなどについて
書きましたので、
ぜひご覧になってみてください。

今回の記事は、過去の自己紹介を
より深掘りしてご紹介していきます。
シリーズとして続けますので、
楽しみにしてくださいね。

今日は私のキャリア形成に
大きな影響を及ぼしている
母についてご紹介します。


さて、私は1990年に東京で
一人っ子として生まれます。

父は大手メーカーのサラリーマン。
母は同じ会社で総合職として
勤務していました。

実は父と母は全然育った
かなり環境が異なります。
父は鳥取の田舎出身。
高校まではスポーツに打ち込み、
東京の大学ならなんでもいいと
受験して、
ギリギリ合格をして上京しました。
落ちたら次の年は理系から
文系に変更すればいいかという
いい加減な感じだったようです。

一方も母は東京の麻布で生まれ育ち、
東洋英和女学院という私立の
中高一貫校に進学後、
早稲田大学を卒業しています。

この東洋英和女学院では母の時代は、
「良妻賢母」を育てることが
掲げられており、母は入学式で
この話を聞いて、「ありえない!
なんてとこに入ってしまったんだムキー
と思ったそうです。
母はとっても気が強いんですガーン

そして、良妻賢母を目指さず、
受験競争をくぐりぬけ
早稲田大学に入ります。
ちなみに東大が第一志望でしたが、
受験の年に母の父(私の祖父)が
なくなるという大変な環境だった
ようで、東大は二次試験で
落ちてしまったのでした。

早稲田大学の理工学部という
女子の少ない学部にいき、
まだまだ男性社会な会社の中で、
総合職として勤務します。

当時は、一般職のような事務仕事を
させられることが多かったり、
飲み会ではお酌を求められたり、
カラオケで盛り上げることを
求められたりしたそうですが、
母はきっぱり言うタイプだったので、
そういう要求をしてくる上司にも
食ってかかっていたそうです。

今社会人になってみてわかりますが、
そこまで自分の主張を
貫き通せるのはすごいですよねびっくり


会社の中でも男性に負けじと
仕事をしていた母ですが、
父と結婚し、私を妊娠します。
そして私を出産した時に、
父から育児に専念してほしいと
頼まれ泣く泣く会社を辞めますショボーン

それ以来今まで母は、ずっと
専業主婦で私を育ててくれました。
私が小さい頃にはよく
「あの時仕事を辞めたくなかった。
女は損だショボーン」繰り返していました。

この話を聞いていた私は
「私は女性だからと言って、
キャリアを途中で諦めたくない。
男性と肩を並べて仕事をして
活躍していきたい炎」と思っていました。
そして、「たとえ出産しても
絶対仕事は続けるんだ!
と思って過ごしていました。


母の話を聞いた私は
「母の代わりに私が頑張らなきゃ」と
勝手に張り切っていました。
頼まれてもいないのに、
私が勝手に背負いこんでいました。

でも、今になって思えば
母は自分の気持ちや事実を
言っているだけなんですよね。
私にどうこうして欲しいとは
一切言っていませんでした。

なのに、勝手に抱え込んだ私は、
周りが望んでいることを叶えようと
して自分の進学や就職を決めていきます。

そして、自分のやりたいことや
好きなことがわからずに
迷走していきます。

あまりに自分のやりたいことが
わからなかったときには、
母がいろんな刷り込みをしてきたから
こんなことになったんだ、
と被害者のように思っている
こともありました。

でも今ならわかります。

母は自分の体験を娘に
知って欲しかっただけ。
それを活かして
欲しかっただけ。


そう思うと、色々と素直な気持ちを
伝えてくれた母に感謝の
気持ちが湧いてきましたおねがいキラキラ



次回からは幼少期から
私がどんな成長を遂げたのか
書いていきます。

この母からの期待(と私が思っていた)と
どう向き合っていったかも、
いずれ書いていきますので
楽しみにしていてください。

あんな