小池です
今日は少し深い話。
あの日…
僕は確実、神に出会ったんだ。
嘘だと思われるだろうか?
いや、あれは、“まさに神”だったんだ…
日本において「神」とは、他国の認識とは異なります。
日本は自然崇拝(アニミズム)、多神教を精神基盤としています。
すなわち、神様はそこら中に存在し、人も神、動物も草木も全てが神なのです。
だから、日本では簡単に「神」という言葉を使います。
野球の抑え投手や、サッカーの名ゴールキーパーを守護神。
他にも、漫画の神様、経営の神様…
ありとあらゆる人に、形容詞として「神」と呼びます。
ちなみに現代では誤解がありますが、天皇の「現人神」も、これに同様。
決して、絶対神というニュアンスではないのです。
善も悪も関係ありません。
厄病神、貧乏神ですらも「神」なのです。
これが日本文化の精神的基軸であり、「大和」という言葉の根源です。
反面、ヨーロッパにおいて神とは何か?
ヨーロッパは日本のような自然の恩恵はありません。
常に自然は牙を剥き、人間はそれを対立する構図となりました。
人は自然に対立する為、神の声を聞いた。
神の声の正体とは何かといいますと、“人の閃き”でありました。
だから、ヨーロッパの宗教は“人が中心”なのです。
日本のように自然や動物を神と捉える土壌ではないのです。
中世のユダヤ教、キリスト教では、完全に自然と対立していました。
教会の周りに木を植えるのは、神への冒涜と考えられていました。
ヨーロッパでは魔女は森に住んでおり、森は魔界への入り口でもあるという童話もあります。
童話はその国の伝統的価値観を表しています。
ヨーロッパにとって、神とは“人の閃き”です。
それを当時の人は、神の声と感覚的に受け取ったのでしょう。
閃きや喜びであり、喜びは人を支配するもの。
人を支配する存在は、一つしかないと考えられていました。
だからこそ、一神教が誕生したのです。
あの日、僕が出会った神…
それは日本の伝統的価値観のように、形容詞的存在です。
あくまで“神のような”存在です。
しかし、それは一神教のように絶対的でもあります。
まるで絶対神のような存在…
僕は写真を撮ることに成功した。
僕は感動をすると、いつも夢中になって撮影を忘れてしまう。
今回ばかりは、忘れなかった。
一緒にいた深谷さんが、「…今のうちに写真!!」と気付かせてくれたからだ。
今回のこの写真…
みなさんにもお見せしようと思う。
一人占めをしたい衝動にも駆られるが…
ここは、あなたのためにも…
この存在を知っておいてもらいたいのです。
では、写真をお見せしましょう!
神のような存在とは…
…
…
…
これだ!!!!
六三六らーめん!!!(爆笑)
ひゃっほーーーーーーーーーーぃ!!ヽ(゚∀゚)ノ
この味、まさに神のような存在。
14時間以上もの間、にぼし、タマネギを中心とした野菜を煮込み…
とろみかかったスープは、まさにこの世の自然の濃縮したかのような味。
まるで最後の晩餐にキリストの聖杯に注ぐに相応しいほどの上品さ。
このラーメンを作った人を、職人と呼ぶべきか。
否、全ての生物を生み出す原因となった、ビックバンと呼ぶべきであろう。
僕はこれ以上のラーメンを食べたことがない。
究極のラーメンと呼ぶに相応しい味である。
小池の名にかけて(笑)
あまりにも美味しいから、つけ麵も食べちゃったヽ(゚∀゚)ノ
三杯目も食べようと思ったけど、楽しみはまた次回にしたよ☆
「麵や六三六」はウィンク愛知地下一階にある支店。
本店は大須の上前津市バス停留所付近にあるよ。
ぜひ、行ってみてください!
本当に美味しかったなぁ☆
深谷さんにも、このラーメン屋を紹介したら、世界一って言ってましたよ。
最後までお読み頂きありが…というより、すみませんでした(笑)
小池


